歴史に残るプッツン劇場 清原和博 「オラァ! どこ投げとるんじゃ!!」
2015.06.17
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死球に激怒でバット投げ→ヒップアタック
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秋分の日のデーゲームに事件は起きた。処分を受けた清原は連続試合出場490でストップ
 のちの「番長」は、このとき初めて、その"本性"を見せた。
 ’89年9月23日、西武対ロッテ戦。西武が7-0でリードし、ワンサイドになりかけていた4回裏2死一、二塁の場面で、清原和博(当時22)が打席に入った。
 投手は平沼定晴(当時24)。清原には、前の打席で痛恨の満塁弾を打たれている。抑えるには苦手のインコースを徹底して攻めるしかない。
 平沼の1球目、内角をえぐるシュート回転のストレート。踏み込んで打つのが身上の清原はピクリとも動けず、ボールが左ヒジに当たった。
「オラァ! どこ投げとるんじゃ!!」
 瞬時にキレた清原は鬼の形相でマウンドに向かう。
 清原は日頃、神棚に飾るほどバットを大切にし、同僚がグラウンドでそれをまたいだりすれば激高して注意した。そのバットを「カッとして気がついたら投げつけていた」のだという。
 力まかせにブン投げられたバットは、前日の雨で滑りやすくなっていた人工芝でバウンドして、平沼の左太モモを直撃した。そして平沼がグラブを投げ捨て反撃しようとしたところに、清原のカウンターのジャンピングヒップアタック。
 当時はまだ細かった清原だが、それでも平沼の身体は2mも吹っ飛んだ。
「投げる前から狙っとるような感じやった。その前にホームランを打たれて悔しいのはわかるけど」(試合直後の清原)
 一発カマした清原は逃走するも、ベンチから飛び出してきたロッテのマイク・ディアズに捕まりヘッドロックされる。その後は両軍入り乱れての大乱闘――。
 平沼は左肩鎖部と左大腿部の挫傷で全治2週間と診断された。清原は即日、厳重戒告、制裁金30万円、出場停止2日間の処分を受け、翌日には、選手会長の辻発彦につき添われて、ロッテのロッカールームに出向いて平沼に謝罪した。
 だが、清原にも理由はあった。彼の通算被死球はプロ野球史上最多の196個。3年目は15個、4年目のこの年も16個で2年連続の被死球王だった。グラウンドでこそ、死球を受けた後も平然と一塁に歩いていった清原だが、ベンチに下がってからは、痛みでうずくまることが再三あった。怒りはタマりにタマっていたのだ。
 それでも、清原は後日、平沼にこう言って再度頭を下げたという。
「これからも遠慮せずインコースに投げてきてください」
 平沼は中日、西武を経て’98年に引退。いまは用具スタッフとして中日を支える。
 一方の清原は、薬物疑惑や亜希夫人との離婚で心身ともにボロボロになり、現在、平日は四国八十八カ所のお遍路、週末は息子の野球観戦という日々。しかも最近は体調を崩し、お遍路も中断しているという。あのときの元気の10分の1でも取り戻してほしいものだ。
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PHOTO:産経新聞社
HOT WORD: 清原和博
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