一日1600万稼いだ 伝説のカリスマホスト 井上敬一「オレが見た地獄」
2016.04.06
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借金1億円

「ホストの前に人間やろ!」と叫び、テレビ番組『ザ・ノンフィクション』に何度も取り上げられた名物ホストが、その波瀾万丈すぎる半生を明かす。
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ホスト時代の井上氏。格好こそハデだが、まだ20代前半のあどけない表情が残る
残りの借金は約7000万円
 井上敬一――。おそらく、ホスト業界で彼の名を知らぬ者はいない。かつてホスト激戦区・大阪ミナミで名を馳せ、引退後は経営面で辣腕(らつわん)を振るった伝説の人物である。その生き様は、日曜昼放送の異色のドキュメント番組『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)で取り上げられ、一躍全国区となった。
 第6弾まで放送された彼の番組では、「ホストの前に人間やろ!」という名文句も生まれた。しかし、最後は誰もが予期できないものとなる。まさかの脱税で借金1億円。おりしも「水商売やってたらなんでもできる!」と豪語しホスト業界から離れた直後で、ほかの事業で借金を返そうと試みるが、どれも鳴かず飛ばず。まさに人生急降下というところで放送は終わった。
 夜の世界で栄光を極めた男がドン底に墜ちる。まるでドラマのような話である。しかし、放送は終わっても彼の人生は終わらない。あのイケイケだった井上敬一は、そして最後うなだれていた井上敬一は、いまどうしているのか。
 井上敬一は東京にいた。オシャレなブルー地チェックのスーツに白の開襟シャツは、ヤリ手の実業家といういで立ち。ただ、浅黒い肌と襟もとにのぞくクロスのシルバーネックレスがホスト時代の名残りを感じさせる。現在の肩書は「ブランディングコミュニケーションデザイナー」。ホスト時代に培ったコミュニケーション術を説くセミナーなど講師業を中心に、複数の仕事を掛け持ちする。
「借金を返すために、まわりからは『またホストやれや』とさんざん言われました。でも自分はもう引退して次の道を作ると決めていたので。現役ホストの悩みは"将来"なんです。結婚できるのか、昼間の仕事ができるのか、というのが一番の悩み。そこで後輩たちのために自分が新たな道を切り拓かなければと思ったんです。そう決意した瞬間にあの事件があったんです」
 正直、返済は苦しい。税理士に任せっきりだったため、本人からすれば「青天の霹靂(へきれき)」で背負った借金。重加算税も加わり1億円。当初はこれに毎日約4万円の延滞税がついた。これまでの蓄えで返済し、現在は月給28万円の給料から毎月1万~2万円を返している。事件から2年超、返済できたのは約3000万円――。
「返済計画は国税の人と相談しながら進めています。担当の方も番組を見ていてくれたので、優しくしてくれます(笑)」
 ホストに戻ればいまほど苦労なく借金を完済することは可能だろう。しかし、自分がタンカを切ったことに責任を持つ。かつての関係者からは「何考えとんねん」というあきれた視線も浴びた。それでも仁義を貫くのが、井上敬一なのだ。
「誕生日などの花形イベントのときは、お客さんがある程度おカネを貯めてきてくれるんです。あのときは最高で600万円ぐらい持ってきてくれた人がいた。そんな金額に見合うお酒なんてありませんから、酒樽を3つ用意してひとつ200万円でどうですか、と」
 井上敬一が一日で1600万円を売り上げ、記録を作ったときの話だ。オッサンがキャバ嬢にチョコチョコ貢ぐのがかわいく見えてくる数字である。井上はこの快挙を、ホストを始めて4年目、24歳の若さで達成する。
 そして長らくNo.1の称号をひっさげ、店長として徐々に経営にシフトしつつ、推し進めてきたことは、どれもこれもが異色だった。「ホストに市民権を」を合い言葉に、風紀をただす組合を作ったり、従業員で募金活動、ゴミ清掃もしたりした。人材育成のため、従業員のケアはもちろん、その親へも挨拶に出向き、店で親子参観をしたこともあった。従業員がしでかした不始末に関しては、その場で土下座は当たり前。丸坊主にして謝りに行ったこともある。
 これだけを見れば、「なんて模範的な好人物なんだろう」と思うだろう。だが、実際に活動を始められたのは、あくまでNo.1になり、経営に携わるようになってからのことだった。
シャブとバイブ、非常階段と全裸
 事実、25歳でホストを引退するまではキレイごとなど言ってられなかった。蛇の道は蛇。ホスト業界の壮絶な営業にドップリ、である。
「オカンが保証人で多額の借金を背負って、その返済のために立命館大学を中退してホストを始めました。その初日、キャッチで女の子を呼べたんです。先輩たちが『敬一スゴいな~、オレらが盛り上げたるから任せとけ』って。実際すごい盛り上がって女の子たちもテンション上がってシャンパンも入れてくれた。スゴイなと思ったら、後から聞いた話、シャブを入れてたらしく、どおりで銀紙がいっぱいあったなと。でも、当時のボクには銀紙の意味すらわからなかった。しまいには3000円で呼んだのに支払いが7万7000円になってる。そのムチャクチャぶりは、カルチャーショックでした」
 つい数日前まで、クスリはもちろん、酒もタバコもやらずにサッカーを好む哲学科の大学生だった。そりゃ怖い。でも後にはひけない。肚(はら)をくくったのはバイトから社員になりたての頃、同期と系列店に赴(おもむ)いたときのことだ。
「イスに片足乗っけてのけぞってる先輩が、極太のバイブを見せるんですよ。で、『こういうモンやから、女は』って言う。いや、どういうことやねんと(笑)。結局、女はヤッてもたらいい、ということ。で、数字(支払い)はナンボにしてもええと。あとで回収したるからとにかくいけって。そのとき、同期は気が引けてた。でも、ボクは逆に肚をくくりました。大学もやめておカネも必要だったので、ドップリ浸かろうと決めたんです」
 入店から3ヵ月は、お客をヤリ倒したという。店の非常階段に連れ出してとにかくヤる。そうすれば指名が増えると思っていた。
「でも3ヵ月たって、誰一人残らないんです。結局、キャバクラといっしょでヤれちゃうとそれで終わりなんですよね。だからやめました。でも、営業活動でどうしてもお客さんの部屋に行かなアカンときがある。そういうときは事前にトイレでヌイてました。"オレはプロだ、『ゴルゴ13』だ"とね。当時はヤリたい盛りですから、遊べなかったのはツラかったですね」
 以来、自分流の営業法を考えた。ほかのホストはキャバクラや風俗へ営業に出向く。しかしそんなカネはない。そこで当時はまだ隆盛だった伝言ダイヤルに、ホストであることを先に吹き込んで、反応のあった女のコとお茶をしながら営業した。
「自分は同じ喫茶店の同じ席にいて動かずに、時間ごとに女の子が入れ替わるという。何かの面接みたいですよね」
 さらに出会い系雑誌でお客さんを探すなどし、独自路線で客層を拡大していった。
「自信はなぜか昔からありましたね。保育園のころから徒競走で2番になった自分が信じられなかったですし(笑)。なんでも1番だったオヤジの背中を見てきた影響もある。オヤジのアダ名は麻雀のピンズからとった『ピンちゃん』でしたから」
 そしてもうひとつ、反骨精神からくる並々ならぬ野望があった。
「尼崎で育った小学校時代は、家にトイレも風呂もなかった。まわりもみんな同じなので、それが当たり前の中流家庭だと思っていたら、中学、高校とほかの地域から人が集まってきて『ウチ、ちょっとヤバいかもしれん』と思うようになったんです。だから自分でおカネを稼いで、シャワーもトイレもあるマンションで一人暮らししたると思ったんです」
 加えて、水商売で失敗した母親のカタキを討つという思いも強かった。
「オカン、見とけと。オレを育てた水商売、オカンがやってた水商売。それをオレの才能、やり方で証明したると」
 心を鬼にした。最初はケタ違いの金額が怖かったが、100万だろうが200万だろうがビビらない。おカネはおカネとして執着した。
「最初の頃は『オモロイことできんのか』と言われて全裸で接客もしてました。次第にそれがクセになって、No.1になっても脱いでたからまわりのホストも脱ぎだした(笑)。あと、固定客を増やすために、あえてクレーマーにつくようにしてました。やっかいなお客さんはしっかりつかんだら浮気しないんです」
 その自分のすべてをさらけ出して挑んだ結実が、ホスト4年目に打ち立てた「一日売り上げ1600万円」という記録だった。
『男塾』のノリで極めたはずの結束が…
 ホスト全盛時はさぞハデな生活をしていたかというと、そうでもない。1年目にベンツを買って、その後、フェラーリと車に凝ったぐらい。それもスタッフをモチベートするためで、他の儲けはすべて人材育成、広告宣伝につぎ込んだ。
「全部投資する感覚でした。とにかく自分が目立って一番になって、居心地のいい世界を作りたかった。男ってそういうものじゃないですか」
「どうせホストやんけ」「ホストやからな」と偏見を持たれていることはわかっていた。だからよけい、反骨精神に火がついた。
「『直引き』って言葉があるんです。お客さんから直でおカネやプレゼントをもらう行為ですね。それは絶対にやったらアカン。自分らはヒモちゃう、接客というプレーの対価をもらってナンボのプロなんやから、プレゼントもらうぐらいなら店に使ってもらえ、と教えていました」
 ノリは体育会系の部活、たとえるならマンガ『魁!!男塾』。とにかく、わかりやすく示す。社員研修と称して京都・萬福寺で座禅を組み、富士山にも登る。東日本大震災のボランティアにも積極的に参加した。従業員もお客さんも家族。そんなファミリー気質で本音をぶつけ合い、強い絆で結びつく。だから固定客も増え、売り上げも伸びた。何があろうが誰も離れない、そう確信していた。
めげない男
 だからこそ借金を背負ったとき、一人、また一人と自分から離れていくのが何よりツラかった。
「税理士の先生が逮捕されてから、毎日検察庁に呼ばれて尋問されるのもツラかったですけど、そこにスタッフも呼ばれたのが申し訳なくて。個人的にはこんな事件があっても『よっしゃ、やったる!』って思ってた。でも、命をかけてきた、家族だと思ってた連中がやめていって、店舗ごと独立されて……。あれはキツかった」
 自分が落ち込んでいる、と気づいたのは、眠れなくなり、食事もノドを通らずヤセ始めて、だいぶたったころだった。
 幸い、全員が離れたわけではなかった。それが救いになった。
「番組の影響があったのか、周囲の期待に乗せられてるみたいな感覚があったんです。だったら、みんなが自分に抱いているイメージを外してガッカリさせたろうと思ったんです」
 そこでやったのが「井上敬一復活祭」だ。
「北海道から九州まで、先輩や後輩に『困ってるから来てくれ』と声をかけて、みんなに集まってもらって『おカネ貸してください』と正直に言ったんです。『貸してくれる人、手を挙げてください』『いくら貸してくれるか書いてください』ってね。どこが復活祭だよという話なんですが(笑)」
 その日はちょうどサッカーW杯ブラジル大会で、日本代表の初戦が始まろうとしていた。そんなときに呼び出され、カネを無心された側はたまったもんじゃない……はずだ。だが、21人が手を挙げ、合計4250万円が集まった。もちろん無担保である。
「もし1億円借りられれば、それで借金を完済して残ったおカネで事業を興そうと思ったんですけど。いや~、1億円借りられなかったのがショックで……っておかしいですかね?」
 間違いなく認識がおかしい。4250万円集まったことのほうが奇跡だ。だが、この大胆不敵さこそが、井上敬一の真骨頂である。
 いまだって状況は厳しい。だが元気だ。その眼は輝きを帯びている。復調のキッカケは今年の春に「ムカついた」ことだ。
「番組ではかわいそうなヤツに描かれ、実際に悩みました。まずは一般常識やビジネスを学ぼうといろんなところに頭を下げに行ったんです。それで1年ぐらい勉強をしていたら、急にムカついてきまして。『なんかエラそうに言うてるけど、オレのほうがやってきたんちゃうんか?』と感じ始めた。とりあえず、執行猶予が解けたらムカついたやつを殴りに行きます(笑)」
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後輩ホストを周囲にズラリと従えた井上氏。家族のような絆で店を大きくしていった
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お客の女性からほっぺにWチュー。No.1を驀進する、向かうところ敵ナシの黄金時代の一枚
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ハダカになって接客することもあれば、こんな過激な衣裳に身を包むことも。お客さんのためならなんでもやってNo.1を、そして一日1600万円の売り上げを勝ち取った
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いのうえ・けいいち/’75年11月5日生まれ。兵庫県尼崎市出身。立命館大学を中退してホストになり、1ヵ月目から5年間連続No.1をキープ。4年目には、当時関西最高記録一日1600万円の売り上げを達成するも、’13年に脱税で1億円の追徴課税を課せられる。以後、実業家として企業、個人のブランディング、アパレルのプロデュース業を行いつつ、ブランディングコミュニケーションデザイナーとして研修、講演を展開している
取材・文/伊藤 亮 撮影/石川耕三
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