スポーツは人間ドラマだ! 第87回 がばい旋風 佐賀北が起こした「逆転満塁ホームランの奇跡」
2016.04.11
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’07年8月22日
夏の甲子園決勝
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満塁本塁打を放つ副島。この大会で3本目の本塁打だった。試合後「大声援の中で試合ができて幸せだった。声援に押されて逆転できた」と語る
 土壇場で突然飛び出した満塁ホームラン。4点差を一気にひっくり返す大逆転劇。"大どんでん返し"の結末だった。’07年夏の甲子園、広陵との決勝戦。初優勝した"公立進学校"佐賀北の起こした"ミラクル"は、当時ヒットした島田洋七の小説『佐賀のがばいばあちゃん』にちなみ「がばい旋風」と名付けられ、9年を経たいまも語られている。
 まさに"旋風"だった。大会初日の開幕ゲームで福井商に勝って甲子園初勝利を挙げると、2回戦では宇治山田商との引き分け再試合。準々決勝で優勝候補筆頭の帝京に延長13回サヨナラ勝ちすると、準決勝では夏前の練習試合で大敗した長崎日大に完封勝ち。そしてミラクルの集大成が決勝戦だった。
 試合は8回表を終わって0-4。広陵のエース野村祐輔(現・広島)のスライダーの前に、佐賀北は7回までわずか1安打、10三振と完璧に抑え込まれていた。しかし8回裏、ワンアウトからヒットと四球で満塁とし、押し出しで1点を返す。なおも満塁の場面で打席に立った3番副島浩史が、野村の甘くなったスライダーをレフトスタンドに叩き込んだのだ。
「確かに、あの回に起こった出来事自体は"奇跡"と言っていいでしょう。もう一度やれ、と言われても無理です。でも、じゃあ何の根拠もなく偶然そうなったのかといったら、それはまた微妙で……」
 佐賀北を率いる百崎敏克(ももざきとしかつ)監督は言う。強豪私立校と比べると、練習環境や選手のポテンシャルの面では大きな差がある。その差を埋めるために知恵を絞ってきた。選手と交換日記をし、練習の目的を共有。進学校ゆえ部活動も午後7時45分完全下校が規則なので、短い練習時間で基礎体力をつけるため、腕立て、腹筋など40種類のメニューを入れたサーキットトレーニングを繰り返す。それが、決勝まで大会記録となる73イニングを戦い抜く体力に繋がっていった。
 そして限られた練習時間で養われたのが集中力だ。短時間の練習を繰り返すことで集中力が磨かれ、相手に早く適応できた。2回戦の宇治山田商戦では、中井大介(現・巨人)、平生(ひらお)拓也の両投手と対戦し「140㎞を投げる投手を初めて見た」(百崎)。スピードに圧倒されるが、再試合では打ち崩し9得点。また、ここでの経験が帝京戦に生き、帝京の先発・高島祥平の140㎞台後半の速球も「そこまで速くは感じなかった」(副島)。決勝戦でも、副島は前の2打席、野村のスライダーの前に連続三振を喫していたが、「少しずつ合ってきている」と百崎は見ていた。それゆえ、ベンチからの指示は一貫して「スライダーを狙え」だった。
 迎えた8回裏。一球ごとに5万人の大観衆の歓声と手拍子が沸き起こる異様なムードの中で、打席に向かう副島は「ホームランなら逆転というのはわかっていましたが、打つイメージはありませんでした」と言う。副島は3球目、狙っていたスライダーを振り抜く。「打った瞬間、外野の頭を越えると思った」と全力疾走し、打球がスタンドに飛び込むと「記憶を失った」状態でダイヤモンドを一周。ホームベースで待ち受ける3人の走者と抱き合った。
 エースの久保貴大も主将の市丸大介捕手も、佐賀北の選手たちは皆、中学時代は無名だった。名前が通っていたのは、軟式で全国大会3位の実績を持つ副島くらい。それが「強い私学を倒すのが面白い」(市丸)と意思を持って集まってきた。百崎も「他の年と比べると、選手が揃っていた学年」と言う。特待生問題が取り沙汰されたこの年。爽やかな公立高校の快進撃を、社会全体が後押しする空気もあった。こうした多くの要素の何か一つでも欠けていたら起こりえなかった"奇跡"と言える。
(ノンフィクションライター・矢崎良一)
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