追悼 プリンスが六本木をパープルに染めた夜
2016.05.06
LINEで送る

[singlemenu][ptitle]
本誌が撮っていた秘蔵写真
image
このツアーから4年後の’93年にはトツゼンナゾの1文字への改名を宣言。話題にはこと欠かなかった
 このとき――当時30歳のプリンス(享年57)は、間違いなく世界の頂点にいた。
 発表する曲はすべて大ヒットし、同い年のスーパースター、マイケル・ジャクソンやマドンナを超える存在だった。
 そんな彼が、バブル全盛期の’89年2月、ごった返す夜の東京・六本木に現れたのだ。大騒ぎにならないはずがない。
「ギャ〜ッ!」「プリンス〜ッ!」
 ワンレン、ボディコンの女たち、DCブランドスーツの男どもが取り囲んだリムジンからさっそうと降りてきたのは、こともあろうにイメージカラーのパープル地に水玉模様という、ド派手スーツに身を包んだプリンスだった。
 マッチョなボディガードを従えた彼は、157㎝とは思えないほど大きく見える。
「オーラが別格なんですよ。日本人であんな人は見たことがない」
 と興奮ぎみに振り返るのは、当時、この騒ぎを撮影したカメラマンだ。
「この日プリンスは、東京ドームでの世界ツアー日本公演で代表曲『パープルレイン』などを歌い5万人を熱狂させた後、新宿ヒルトンホテルでのアフターパーティに出席。と思ったら、たった15分でパーティを抜け出し、真っ白なリムジンに乗って六本木に来たのです」(同)
 ときあたかも日本は空前のディスコブーム。プリンスは、いまやなつかしい海外セレブ御用達ディスコ、レキシントン・クイーン(’07年に閉店)に入った。
 店員は総出でうやうやしく出迎え、プリンスはVIPルームの一番奥の席にドッカリ腰を下ろす。そのまま虚空を見つめ、1時間、2時間……。彼は物思いにふけったまま、店が気を利かせて彼の曲をかけても微動だにしなかった。
「彼はマイケル以上の奇人、変人として知られ、大のマスコミ嫌いでプライベートはいっさい明かさない。スタジオにこもりきりのワーカホリックです。紫色へのこだわりも尋常でなく、自宅兼スタジオも車もプライベート・ジェットもすべてパープルで統一していました。でも、ああいうディスコでの物静かな姿などを見ると、奇行はすべて自己プロデュースの一環で、実像はマジメな常識人だったのではないかと思え、幻想が膨らみます」(音楽専門誌記者)
 いずれにせよ彼が天才だったことは間違いない。音楽評論家の吉岡正晴氏が言う。
「彼はギター、ベース、ピアノ、ドラムとあらゆる楽器を世界最高レベルで演奏できる。レコーディングはスタジオミュージシャンらの手を借りず、ほぼひとりでやってしまう。’78年のデビュー以来、40枚以上のアルバムを出し、未発表曲数も膨大。そんな音楽家は他にいません。いつもマグマのように燃えたぎって新しい音楽を作ろうとしていたのでしょう」
 外見はキテレツでも中身はストイックで腕は世界一。こんなミュージシャンは、もう二度と現れないに違いない。合掌。
PHOTO:池田賢二
LINEで送る