スポーツは人間ドラマだ! 第92回 身長173cmのNBAプレーヤー 田臥勇太 3年連続3冠「V9達成の瞬間」
2016.05.23
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’98年12月28日
バスケットボール
全国高校選抜決勝
能代工業 対 市立船橋
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高校野球よりも多い、参加4300校(当時)の頂点に輝いた
「田臥(たぶせ)は、自ら志願して横浜の実家を離れ、秋田の能代にまでやってきた。高校生だけど大人びた考え方を持っていました。能代工には『勝って当たり前』というプレッシャーがつきまとうが、あえてその環境に身をおきたかったんだと思います」(能代工バスケ部元監督で現西武文理大学バスケ部監督の加藤三彦氏)
 秋田県北部、日本海沿いの町・能代。ここに「必勝不敗」を掲げるバスケの名門・能代工業がある。’96年春、この学校を目指して全国から集まったエリート集団のなかに、田臥勇太がいた。
 身長は173㎝で体重70㎏に満たない。バスケ選手としてはかなり小柄ながら、才能はズバ抜けていた。卓越したパスセンスと変幻自在のドリブルを持ち味に、全国のエースクラスが集まる能代工で1年からレギュラーの座を摑んだ。前出の加藤氏が言う。
「田臥は誰よりもバスケが好きだから、自分がミスすることが許せないんです。なぜミスしたのか、徹底的に考え、それを自分で修正できる、非常に自立した選手でした。たとえば、私が右と指示しても、彼が左だと思えば左にパスする。自分を一番信じているし、それを周りに納得させるだけの練習もしていました」
「バスケの街」が育んだ才能
 田臥の入学後、能代工は快進撃を続け、全国大会で無傷の43連勝を重ねていく。
 そして迎えた’98年の選抜決勝。相手は「打倒田臥」に燃える市立船橋(千葉)だった。個人の能力では能代工に比肩する強豪に、能代工は序盤でリードを許してしまう。だが、田臥は冷静だった。相手の集中力が切れたと判断するや、ドリブルで切れ込み、連続得点。司令塔としても鋭いパス出しでゲームを掌握していく。能代工98点目のシュートを田臥が決めた直後、試合終了のブザーが鳴る。高校総体・国体・選抜3冠を3年連続達成、前人未到のV9を打ち立てた瞬間だった。
 田臥は高校時代をこう振り返る。
「能代工は勝つことが使命のような伝統校でした。先生やOBはもちろん、街中の人が僕たちに注目し、期待をしている。だけど加藤監督は選手を信頼し、『想像力を使え。得意なことを伸ばせ』と、選手の自主性を尊重してくれた。だからどんな時でもバスケットのことを考えて、熱中し続けることができる。本当に貴重な3年間だったんです」
 恵まれた才能を能代という最高の環境で磨いた田臥は、’04年に日本人初のNBA選手となった。35歳になった現在も、NBL・リンク栃木ブレックスの中心選手として優勝争いを繰り広げ、日本代表としてリオ五輪出場を目指している。
「能代工にいたから、いまの僕のバスケットスタイルができたんだと思います。チームメイトに監督、そして能代の環境。すべてが合致したから9冠という結果につながった。勝つから楽しい。楽しいから勝ちたい。だからいまでもバスケをどんどん好きになっています」
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市立船橋の2枚の守備をフェイントでかわし、ゴールを決める田臥。この日両チーム最多の37得点を記録した
PHOTO:産経新聞社 読売新聞社(2枚目)
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