特別対談 元NHK沖縄 竹中知華×元秋田朝日放送 塩地美澄「いまだから話せるオッパイ赤面エピソード」
2016.05.29
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北と南の
2大巨乳アナが
夢の競艶!
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 地方局のアナウンサーから、フリーランスに転身し、いま全国的に注目を集めている竹中知華(写真左、元青森朝日放送・NHK沖縄)と、塩地美澄(元秋田朝日放送)。
 ともに’82年生まれで、東北地方でアナウンサーとしてのキャリアをスタート、退社後には写真集を発売と、共通点だらけの2人の共演が実現! 地方局時代の話から、胸ばかり注目を浴びてしまうことの苦悩まで、赤裸々に語り合った。

地方局には巨乳アナが多い

塩地 初めて中継で竹中さんを拝見したときのことをよく覚えていますよ。

竹中 ええっ、いつだろう?

塩地 秋田朝日放送の『サタナビっ!』という番組で、局をまたいで中継することがあったんです。私はスタジオにいたのですが、朝日放送時代の竹中さんが、男鹿(おが)の海鮮市場から新鮮な海産物をレポートしてくれたんです。

竹中 あまり覚えていない(笑)。中継先からだと、スタジオの様子は見えないんだよね。

塩地 そのとき、竹中さんは割烹着姿だったんですけど、やはり、割烹着で覆われていても存在感を隠せないほどの胸の大きさが印象的でした。スタジオの男性スタッフたちが、みな「すごい!」と話題にしていたのを覚えています。
 竹中さんの他にも青森のアナウンサーは胸の大きい方が多くないですか? キャイ〜ンの天野ひろゆきさんと結婚された荒井千里さんも、同じ青森朝日放送でしたよね?

竹中 彼女は、私の後任として入社してきました。当時の上司は巨乳好きで、私たち、「イエローキャブ」って呼ばれていたんです(笑)。一方で、キー局には、胸が大きいアナウンサーは多くないと思います。なんとなく嫌がられる気がして、キー局の面接では、ジャケットを着て隠していました。

塩地 でも割烹着のときと同じで、隠せていなかったはずですよ(笑)。竹中さんの胸はいつごろ成長したんですか?

竹中 大きくなり始めたのは高校生のころから。周りの視線も気になりましたね。わざと猫背になって、胸が目立たないようにしていました。塩地さんは?

塩地 小学校高学年のころ、胸が腫れて紫色になってきたので、病気なんじゃないかと思って病院に行ったんです。おじいさんの先生に、私の胸をニヤニヤしながら触られて、「ただの成長ですね」って言われたんです。

竹中 それは恥ずかしい(笑)。

塩地 初めて私のオッパイを触った男性がその先生……。いま思えば、行かなければよかったですね(笑)。

竹中 そのあともやっぱり胸が大きいことは気になった?

塩地 同級生の中で、私だけどんどん胸が大きくなっていくのがコンプレックスでした。私も猫背になっていました。

竹中 なるよね。重いし、肩も凝るし、いいことない。アナウンサーは姿勢をよくしなければいけないから大変でした。堂々と胸を張っていきたいんだけどね。

塩地 文字通り(笑)。私はそうやって、胸をずっとコンプレックスに感じてきたので、男性に褒めてもらえるのが不思議で不思議で。セックスシンボルになるなんて、考えたこともなかったんです。

竹中 私は、背が高いのと一緒で、特徴のひとつだと思うようにしています。自分の魅力がそこだけだと思ってしまったら、成長できませんからね。

地方局アナはつらいよ

塩地 でも、モテたんじゃないですか?

竹中 まあ、巨乳が嫌い、という人は最初から近づいてこないですよね。私は広島工業大学時代、理系だったせいか、100人のクラスに3人しか女子がいなかったんです。そのころがモテ期だったかな。

塩地 それはそうですね(笑)。でも、地方局のアナウンサーになってからは、忙しすぎて、男性と出会っている暇もない状況ではなかったですか?

竹中 仕事の関係で出会う男性はいたけど、なかなか出会いのための時間を作る余裕はなかったです。

塩地 私は日付が変わってから帰宅して、朝に出社するという日々でした。アナウンス業務以外もこなしていたので、とにかく忙しかった。

竹中 私も、新人のころは電話番もしていたけど、どこまでやっていたの?

塩地 週1回、全部自分でやらなければいけないコーナーがあったんです。入社してすぐに、先輩にカメラを渡されて、「とりあえず撮影してこい」と言われたんですよね。ひとりで片道2時間くらい車を運転して、カメラを設置して、撮影して、編集、テロップ付け、ナレーション入れまでなんてことはザラにありました。局の玄関を出た瞬間に涙が出てきたくらい、最初はこたえましたね。だから、恋愛している余裕なんてなかったんですよ。

竹中 でも、彼氏はいたんでしょ?

塩地 いました(笑)。でも、デートするのも、なかなか大変でした。秋田にはあまり芸能人が来ないせいか、地方局のアナウンサーが目立ってしまうんです。だから、仙台に行ったり、岩手に行ったりと、県外でデートするようにしていました。

竹中 たしかに、デートを見られてネットに書かれたりしたら大変だもんね。私は、彼と一緒に歩いていたらネット掲示板に彼の容姿の特徴を書かれたなあ。逆に、あからさまに変装したり、デート中にこそこそしたりすると、「何を調子に乗っているんだ」と思われそうで……。

塩地 とくに私たちは、出身地ではない場所でアナウンサーになったので、複雑ですよね。グラビアを始めたときも、あきたこまちをもじって、「ノーブラこまち」というキャッチコピーをつけていただいたんですが、秋田の方には申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

竹中 わかる! 私も沖縄出身ではないのに、「パイナップル乳」と名前をつけられてしまって。でも、いつかは沖縄を背負っていくくらいの存在にはなりたいですね。

水着姿になる勇気

塩地 地方局時代は情報を伝えるアナウンサーという職業においては、隠さないといけないっていう思いがずっとあったんです。

竹中 私もそう思っていました。「胸に目がいってニュースに集中できない」という苦情が局に届くこともありましたね。

塩地 そこまでですか! 私は谷間が見えないように、胸と服とを毎回テープで止めていましたよ。

竹中 私もやりました。ブラ紐が落ちてこないように肩の部分にもテープを貼りましたし、ボタンとボタンの間を縫っていました。

塩地 ボタンが飛ばないようにしていたんですね。

竹中 毎日の作業になっていたので、仕事の一部として、ほぼ無心で縫っていましたね(笑)。

塩地 フリーになってからはもう縫われないんですか?

竹中 番組によるかな。堅い番組に出るときは、いまでも気をつけます。でも、塩地さんは、水着の写真集を出したら、なかなか堅い番組は出づらいんじゃない?

塩地 写真集を出すことを決めた時点で、報道のお仕事は来なくてもいいと割り切りました。でも正直、まだまだ完全に吹っ切れたとは言い難いかも。最初は報道志望でアナウンサーになったので。

竹中 だいぶズレたね(笑)。私も沖縄限定の写真集を出しておきながら、吹っ切れない自分がいるんです。写真集では水着になる勇気はなかった。水着の写真を撮られるとき、抵抗はなかった?

塩地 ありましたよ。プライベートでも、小学生以来、水着になったことがなかったんですから。

竹中 そうなの? 私はプライベートではよく水着になるよ。沖縄という場所柄もあるかもしれないけど。

塩地 私は生まれも育ちも北海道で、勤務地も秋田だったので、海に行く機会がなかったんです。だから、最初に水着になるときには勇気がいりました。

竹中 じゃあ恥ずかしかった?

塩地 もちろん。でも、カメラマンさんがキレイに撮ってくださるので徐々に慣れました。将来、子どもができたら「ママのキレイなときだよ」って見せたいな(笑)。
 でも、さすがに、お尻を突き出すショットは恥ずかしかったです。テレビでは、見てくださっている方にお尻を向けるなんてありえないことなので(笑)。竹中さんは、水着になるご予定はないんですか?

竹中 うーん、まだなかなか決心がつかなくて……。一度大胆になれれば、大丈夫なんじゃないかなと、塩地さんを見ていると思いますね。

塩地 シチュエーションさえ整えば、大胆になれると思いますよ。私は撮影地がグアムだったので、もう水着になるしかない、と決心がつきました。
 どうですか? 機会があればご一緒しましょうよ! きっと、パイナップル乳を拝みたい男性読者は多いはず。

竹中 たしかに、塩地さんが一緒だったら開放的になれるかもしれない。うーん、どうせ着るならビキニにします!

 今度はグラビアでの共演、よろしくお願いいたします!

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写真集『みすみ』を手に取る竹中さんに「グラビアは素晴らしいですよ」とアツく語る塩地さん
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しおち・みすみ/’82年、北海道生まれ。小樽商科大卒業後、’06年に秋田朝日放送に入社。’14年に退社しフリーに。現在はabemaTV『妄想マンデー』にレギュラー出演中。写真集『みすみ』(ワニブックス)が好評発売中
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たけなか・ともか/’82年、広島県生まれ。青森朝日放送、岩手朝日テレビを経て’08年にNHK沖縄に入社。’15年からフリーに。ラジオ沖縄『ときめきリバイバル』、『カラフル』、FM沖縄『ちゅらいえばなし』にレギュラー出演中
撮影/西條彰仁
スタイリング&ヘアメイク:いさこ
構成:霜田明寛
HOT WORD: 女子アナ
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