スポーツは人間ドラマだ! 第93回 奇跡の大金星を摑んだ名将・宿澤広朗の観察眼
2016.05.30
LINEで送る

[singlemenu][ptitle]
’89年5月28日
ラグビー
日本 対 スコットランド
image
勝利後に選手から胴上げされる宿澤。埼玉の熊谷高から早大に進学した。ポジションはスクラムハーフ。2年、3年時に連続日本一。三井住友銀行では専務執行役員を務めた
「スコットランドには勝てますよ」
 38歳の指揮官・宿澤広朗(しゅくざわひろあき)(故人)の言葉に、会見場はポカンとした空気に包まれた。元号が平成にかわったばかりの’89年、日本ラグビーは自信を喪失していた。’87年の第1回ワールドカップ(W杯)では3戦全敗。直後に来日した世界王者・オールブラックス(ニュージーランド)には、0対74、4対106という壊滅的な大敗。’88年には、アジア選手権でライバル・韓国にも13対17で屈した。
 今度の相手はW杯8強の強豪スコットランドだ。またも大敗は繰り返されるのか……。そんな悲観的な予感を抱きながら会見にやってきたメディアは、新監督の口から飛び出す言葉に圧倒された。
「カバーディフェンスが甘いから、ラインの裏に出ればトライが取れるよ」
 強気の指揮官は、早大時代は猛タックルでならした。卒業後は住友銀行(当時)の辣腕(らつわん)為替ディーラーとして活躍。7年半に及んだロンドン勤務時代は欧州5ヵ国対抗(当時)を現地で観戦。インターネットもない時代に、スコットランドをはじめ世界ラグビーの最新事情に精通していた。宿澤は語っている。
「帰国してからもビデオを何百回も見て、スコットランドの試合運びを観察した。素直なスクラム、第二線の防御の甘さ……。徹底的に研究したよ。それで20点はとれると思ったんだ。問題は日本の守備。相手を20点以内に抑えないと勝てない。守備の強化が急務だと考えた」
 そのために掲げた最重点項目は2つ。スクラムに強い田倉政憲、タックルの梶原宏之ら明確な武器を持つ新人を抜擢したのだ。それまでの日本代表で多くの時間を占めた攻撃の練習を削ってでも、勝負を決するキモを徹底的に鍛えた。メディア相手にもチームミーティングでも「勝てる」と言い続けた。
「だんだんと『勝てるんちゃうかな』という気になってきた」
 26歳で主将を任された平尾誠二は言う。
「それまでの日本代表は、あまり裏づけのないまま『とにかく勝とう』と気持ちが先行していた。でもあの時は『何のために、何をやれば勝てる』という裏づけがあって、選手たちにも緊張感があった」
 宿澤も「平尾が『勝てる』と思ってくれたのが大きかった」と語っている。
 決戦前日。スコットランドは秩父宮ラグビー場での最終調整を非公開で行った。宿澤は伊藤忠商事の知人に頼み込み、ラグビー場に隣接する同社ビル12階からその様子を観察した。
「何か違うことをしてくる様子がないか見ただけ。これまでどおりだったので勝利を確信した」と宿澤は笑った。
 ’89年5月28日。宿澤の予言は現実となった。日本は田倉を先頭にFWがスクラムを押し、梶原を筆頭に猛タックルで相手の攻撃を寸断、平尾のリードから5つのスリリングなトライを奪った。28対24のスコア以上の完勝だった。
 試合後の会見で宿澤は語った。
「だから勝つって言ったでしょ(笑)」
 歴史的金星……。だが、このスコットランドは正式な代表ではなかった。ジャージーの胸には準代表を意味する「XV」の文字が縫い込まれていた。公式のレコードブックには載らない結果だった。
 ’16年6月、あれから27年ぶりに来日する濃紺のジャージーの胸に今度はXVの文字はない。鬼籍に入った宿澤が、空から見つめている。――文中敬称略
(スポーツライター・大友信彦)
LINEで送る