スポーツは人間ドラマだ! 第99回 アンディ・フグが放った「フグ・トルネード」
2016.07.11
LINEで送る

[singlemenu][ptitle]
白血病で急逝した悲劇の格闘家
’96年5月6日
K-1グランプリ
決勝
image
前年の対戦では無名のマイク・ベルナルドに逆転KO負けしたが、1年後にリベンジを果たした
 ’90年代の格闘技ブームの火付け役になったK-1グランプリ。正道会館所属のスイス人空手家、アンディ・フグは、必殺の後ろ回し蹴り(フグ・トルネード)、かかと落としを武器にファンの熱い支持を受けた。’00年に急逝したフグの思い出を、盟友・角田信朗氏(55)が語る――。

 気高い男だったと思いますよ。
 正義感が強く、負けん気もかなりありましたけど、いつも平常心でいるように振る舞っていました。3つ年上の僕にも振る舞いについて説教したりね(笑)。’96年のグランプリでは、それまでのK-1の歴史を踏まえた、神がかり的なファイトを見せてくれました。
 大会前、正道会館に泊まりこんで技を磨いたアンディは、事実上の決勝戦と呼ばれたアーネスト・ホースト(オランダ)との対戦で再延長戦の末勝利し、決勝はマイク・ベルナルド(南アフリカ)との対戦になりました。
 ベルナルドは、準決勝で3-0の判定勝利を収めたものの、ムサシの左ローでかなりのダメージを負っていました。アンディは、冷静に対戦相手を事細かに分析するタイプ。ムサシのインローが効いていたことは当然わかっていたはずです。波に乗っているときのベルナルドは持っている以上の力を発揮するけれど、一つ歯車が狂うと途端にボロが出る。
 アンディは第2ラウンド、右ローでベルナルドの左足外側を蹴り抜いてダウンを奪った後、フグ・トルネードを炸裂させました。
 通常のローキックであれば打つ瞬間、相手のストレートが当たる間合いに入ってしまいますが、フグ・トルネードは回し蹴りだから頭さえ下げればパンチをもらわない。見事な計算です。しかも、ムサシの回し蹴りでダメージの蓄積されていた、ベルナルドの左内腿を直撃しました。アンディの優勝は、トーナメントという試合形式を生かした戦略の勝利だったんです。
 アンディには、空手がなければいまの自分はないというフィロソフィがありました。そしてそれは周りにとっても模範となっていました。空手界が大山倍達(ますたつ)を失って何かを無くしてしまったように、K-1もアンディを失ったことが大きかったように思います。
 アンディは’00年福岡でのグランプリ直前、記者会見で急性前骨髄球性白血病であることを発表しました。そこからの展開は、あまりに早かった。
 私が8月24日に呼び出されて、病室についたら生命維持装置みたいなものをつけられていて、「何してんねん、お前。そんな格好して」と思わず口にしてしまいました。
 脳の内部に出血があり、血小板が激減していて血が固まらず、開頭手術もできませんでした。僕が、「何をしてんねん。誰も止めてないやろ」と言うといったん止まった心臓がドッドッて再び動き出すんです。「いけるやないか、試合続行じゃ」と泣きながら言うとまたドッドッ。3回目のときに主治医の先生が僕の肩を叩いて、こう言ったんです。「アンディさん頑張りましたよ。でもね、充分戦いましたからここらで休ませてあげましょう。角田さん、これはレフェリーストップじゃない、ドクターストップです」――。

 ’00年8月27日、東京・麻布の麻布山善福寺で営まれた告別式にはK-1関係者800人が列席、約1万3000人のファンが献花した。K―1グランプリの優勝は’96年の一度きりだったが、草創期のK-1を支えた最大のスター、アンディ・フグは、35歳の若さで逝った。
 空手の掛け声「せいや!」にちなんで、角田氏が命名したフグの遺児・セイヤ君は、このときまだ4歳だった。
image
K-1のスターとなったフグはバラエティ番組にも出演し、角田氏とのコンビでスタジオを沸かせた
PHOTO:乾 晋也
LINEで送る