スポーツは人間ドラマだ! 第100回 トルネードの怪物・野茂英雄 奪三振記録を達成した「浮かぶフォークボール」
2016.07.18
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’90年4月29日
近鉄対オリックス
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入団1年目で最多勝、最優秀防御率、最高勝率、最多奪三振の投手4冠を達成。以後4年連続で最多勝、最多奪三振、最多与四球投手となった。’95年にメジャーに移籍してからは、ノーヒットノーランを2度記録するなど123勝109敗。日米通算で201勝155敗の成績を残した
 近鉄ベンチ内は、大記録達成を前に熱をおびていた。当時、捕手を務めた山下和彦(現、DeNA二軍バッテリーコーチ)が振り返る。
「広報の方に教えてもらって、野茂があと3つ取れば奪三振の日本記録だと知っていた。だから9回は本気で狙いにいった。キャッチャーフライになったら落としてもいいと思っていたぐらいです」
 ’90年4月29日。祝日の西宮球場で行われた近鉄対オリックスの試合は、9回表を終え、15対2と近鉄のワンサイドゲームになっていた。大勢は決し、注目はゴールデンルーキー・野茂英雄(当時21)の初勝利と、17奪三振の日本タイ記録達成だけに集中していた。
 史上最多8球団の競合で近鉄に入団した野茂だったが、ここまでは2試合に先発しまだ白星がなかった。いずれも7四死球を与え、とにかく球数が多い。デビュー戦は6回で158球も費やした。防御率は5点台に甘んじ仰木彬監督も「シャキッとせんか!」と一喝したほど。山下も「(球数が多い)野茂の登板する試合は体重が5㎏減った」と笑うが「本人は言い訳せず飄々(ひょうひょう)としていた」という。
 この日の野茂は2四球と、珍しくコントロールが良かった。野茂の主な球種は直球とフォークの2つだけ。ただ、いずれも超一級品だった。140㎞台の直球の印象を山下はこう語る。
「ベースの手前、ちょうどバッターが打ちにいこうとするところでボールが膨らむというか、大きくなったような錯覚に陥る。それぐらい威圧感があった」
 強打者ほど、野茂は直球勝負を挑んだ。この日も6回、デビュー2戦目で初本塁打を喫した42歳の大ベテラン、4番・門田博光に対してはストレートで押し、見逃しで10個目の三振を積み上げた。
 また、本人曰く「(上下開閉式の)窓を下ろす感覚」で投げていたというフォークには独特の間があった。山下は「ハマの大魔神」こと佐々木主浩(かずひろ)のフォークと比較し、こう語る。
「佐々木のフォークは球速140km台で、そのままスッと沈む。大谷(翔平、日本ハム)も同じです。でも野茂の場合は125kmぐらいで、手元でフッと浮くという感じ。だから打ちやすいように見えて、手を出すと『消えた』感覚になる」
 この日、オリックスの各打者は、そのフォークに完全に腰砕けになっていた。 9回裏、野茂は2つのアウトも三振で稼ぎ、大記録達成に夢をつなげた。
 ここでオリックスベンチは、当てるのがうまい福原峰夫を代打に送る。しかし、低めのストレートであえなく空振り三振に。全17三振のうち「13個ぐらいはフォークだった」(山下)が、最後は力でねじ伏せた。
 1試合奪三振数の日本タイ記録付きという型破りな初勝利を達成した新人は、頬っぺたを大きく膨らませ息を吐いてから笑顔で言った。
「記録のことは知らなかったので緊張感はなかった。それよりも勝ったことのほうがうれしかったですね」
 野茂は初勝利で波に乗った。結局ルーキーイヤーは、21試合で2ケタ奪三振を記録するなど、18勝8敗で投手として最高の栄誉である沢村賞を受賞した。
 山下はしみじみと振り返る。
「いい投手の条件は、コントロールがいいとか、球が速いとかいろいろあるけど、野茂はそれだけでは測れないスケール感があった。あれこそ怪物でしょう」
 日米通算201勝の野茂の偉業は、この白星から始まったのだ。
 (ノンフィクションライター・中村計)
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