スポーツは人間ドラマだ! 第103回  日本最速の男がF1デビュー 中嶋悟「セナが教えてくれたこと」
2016.08.08
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’87年4月12日
F1ブラジルGP決勝
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デビュー・イヤーに中嶋は日本GP6位など4度の入賞を果たす。粘り強い走りで「雨の中嶋」の異名をとった
「シーズン前、セナが『ハンドルが重いマシンは嫌いだ』と言ってきたんだ。僕もそうだった。自分みたいなF1ルーキーの意見なんて聞いてもらえないから、『チームにもっと言ってくれ』って、セナを何度もけしかけたよ(笑)。
 セナがチームメイトだったのは運が良かったと思う。ブラジルでも、『このコーナーはこうしたほうがもっと速くなるよ』と教えてくれたり、とても親切にしてくれた。シフトで手が血だらけになるから、と包帯や薬をくれるような、優しい人だった」
 日本人初のフルタイムドライバーとして、34歳でF1に参戦した中嶋悟(63)は、アイルトン・セナ(当時27)との思い出をこう振り返る。
 全日本F2選手権で、6年間で5度のチャンピオンに輝いた「日本最速の男」中嶋は、’87年ブラジルGP(グランプリ)でF1デビューを果たす。所属チーム、ロータス・ホンダのチームメイトはセナだった。
「予選は12位で、決勝のグリッドはちょうど真ん中あたりだった。他のマシンに囲まれながら、『本当にF1に乗っているんだ』と思ったのを覚えている。横のグリッドには(リカルド・)パトレーゼがいて、前には(デレック・)ワーウィックがいて、『俺はここにいるぞ』って。シグナルが青に変わったあとは、それどころではなくなったけどね。F1はスピードももちろん速いんだけど、F2に比べてすべての操作が桁違いに重くて力が必要だった。ナイジェル・マンセルやケケ・ロズベルグのようにポパイみたいな身体つきをしていたドライバーは気にしないけど、セナは僕と同じように重たいハンドルを嫌がっていたんだ」
車体をぶつけあう熱い闘い
 決勝で中嶋はマシンと格闘しながら着実に順位を上げ、7位でチェッカーフラッグを受けた。
「当時は『スタミナも問題なかった』とコメントしたけど、300㎞を走りきったレース後は、もうこれ以上動けないっていうくらいヘトヘトになっていた。腕に力が入らなくて、終盤は惰性でシフトチェンジをしていた。敵と闘ったというより、自分のクルマと闘っていたね」
 中嶋がF1参戦を意識し始めたのは、イギリスF3のレースにスポット参戦した’78年のこと。F1の前座として行われたF3のレースを終えた中嶋は、生まれて初めてF1の決勝レースを観戦する。
「貴賓席があって、イギリスの王族が来ていて、空軍の戦闘機が隊列を組んで飛んできて、それはもう華やかだった。これが本場の自動車レースなのかと。日本では、レースはスポーツとして社会的に認められていない時代だったけど、僕はレーサーというものを職業にしたいと思っていた。F1をこの目で見て『必ずここに来なきゃいけない。F1が自分の最終目標だ』と決意したんです」
 中嶋はそこから、9年の歳月をかけて夢を実現した。注目度はレース毎に増していき、凱旋帰国となった11月の日本GPでは、鈴鹿サーキットに11万2000人ものファンが集結する。この後数年間、日本では空前のF1ブームが起こり、セナ、プロスト、マンセルといった個性的なドライバーたちとともに、中嶋は世界中のサーキットを駆け抜けた。
「参戦した5年間で、日本もイギリスの雰囲気に少しは近づいたかなと思います。あのころはみんな『ここであいつを潰せば俺がチャンピオンだ』と、マシンをぶつけあいながら激しく争っていた。いまは世の中が落ちついてしまって、挑戦するよりこぼれ落ちないようにするだけで大変な時代だけど、あのころはレースにも人間の本性が出ていて、それがファンを引きつけていたよね」(文中敬称略)
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「セナのアドバイスは的確だったんだろうけど、そのレベルまで僕がいけなかった」と中嶋
PHOTO:Simon Bruty/Getty Images(1枚目写真) Sutton Motorsport Images/アフロ
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