ちょっとなつかしい あのグラビアアイドルに会ってきた!
2016.08.16
LINEで送る

[singlemenu][ptitle]
さとう珠緒、小阪由佳、花井美理、西本はるか、青島あきな

’90~’00年代、ボクたちが"お世話になった"レジェンドたちはいまどこで何をしているのか!? 本誌は徹底追跡して5人に直撃! 当時は話せなかったおカネの話や恋愛事情、騒動・事件の真相など、根掘り葉掘り聞いてきたぞ!
さとう珠緒(たまお)(43)
ドロ沼裁判、AVオファー…
ぶりっ子が直面した未曾有(みぞう)の危機
取材といえば
『あの人はいま』的なものばかり!
私はいまもガンバってます! ぷんぷん!
image
’73年、千葉県生まれ。’95年、『超力戦隊オーレンジャー』(テレビ朝日系)のオーピンク役でブレイク。今年4月スタートのドラマ『横浜見聞伝スター☆ジャン Episode:2』(テレビ神奈川)では、なんと18歳の少女の役に挑戦する
「えぇ〜、私ってグラビアのイメージそんなに強いですか? っていうか、いまもお仕事ガンバってるんですけど、雑誌の取材っていうと最近はこういう『あの人はいま』みたいのばっかりなんですよぉ……。ぷんぷん!」
 で、出た! 名刺がわりの"ぷんぷんポーズ"! 最近いろいろあってごぶさたな印象だが、それは後で聞くとして……まずは’90年代半ば、健康的なEカップでわれわれを魅了してくれたアノ時代のことを話してほしいのです!
「でもホント、グラビアをバリバリやっていたのは『出動!ミニスカポリス』(テレビ東京系のバラエティ)に出演していた’96年以降数年だけで、ハードカバーの写真集も2冊しか出していないんですよ。自分でもグラビア出身という意識もなくて。でも、いまだに仕事先などで『ピンクのビキニのY字バランス、覚えてますよ』とか言ってもらえることはありますね」
 グラビアの印象を鮮烈に残せたのは、「時代に恵まれていたから」と謙遜する。
「当時は、雛形あきこちゃんがグラビアを卒業して、小池栄子ちゃんや優香ちゃんが出てくるまでの、ちょうど狭間(はざま)の時代。あまり業界的に盛り上がっていない時期のグラビアに出ていたので、逆によかったんですよ。でも、ホントに急に忙しくなって、海外ロケとかもかなり弾丸スケジュールでやっていたので、寝る時間がなくて倒れちゃったこともありました」
 男の心と股間をワシづかみにしていくにつれ、生来のぶりっ子キャラを発揮して、「ぷんぷん!」などの"必殺技"を生み出していく。しかし、’04年と’05年の週刊文春の「女が嫌いな女アンケート」で1位になってしまう。
「若いころならまだしも、すでに三十路になっていましたから、図太く『注目していただいてありがたい』くらいに思えるようになっていました。ただ、キャラをつくったわけではないので、誤解しないでくださいね。芸能界のぶりっ子の99%は"養殖"だけど、私は1%の"天然"なんです! 小学校低学年のころ、『スチュワーデス物語』(TBS系のドラマ)が流行(はや)って見てたんですけど、一番人気の堀ちえみさんよりも、ぶりっ子キャラの白石まるみさんがすごくかわいいなと思っていたんですよ。この調子ですから、きっと産(う)ぶ声も甘ったれた声だったんじゃないかな、『おぎゃ〜♡』みたいな(笑)」
 順調な芸能生活に暗雲が立ちこめたのは’12年末。前所属事務所社長に美容整形の広告の仕事をキャンセルしたとして、損害賠償約2700万円の支払いを求める裁判を起こされたのだ。
「私にしてみたら、とてもシンプルな話だったんですけどね。どんなお仕事のオファーにも、『これはできる、できない』っていう判断基準があるじゃないですか。あの広告のお仕事は、『ちょっとできないかな』っていう類(たぐ)いのもので。それを社長とじっくり話し合いたかったんですが、まったく連絡が取れなくなってしまって、気づいたら裁判になっていたんです」
 前事務所に在籍していたとき、1億円でAV出演のオファーがあったとも報じられた。
「AVは、実際にオファーはあったみたいですけど、すぐに断ったので、具体的な話は何にもなかったはずです」
 裁判は、昨年2月に珠緒の全面勝訴で結審。これを不服とした元社長は控訴したものの、同5月に原告自らそれを取り下げた。
「直接話し合いさえできたら、こんなにこじれなかったと思うんですけどね。20年も一緒にやってきた元社長との関係は、好き嫌いを超えたところにありますし、いまでも恩人だとは思っています」
 ドロ沼裁判から解放され、今春からはドラマ出演も決まっているが、私生活はどうなのか。
「ワンコを飼っていて、誰かと旅行にも気軽に行けないし、お家でイチャつこうにもヤキモチを焼いて邪魔してくるじゃないですか。なので、まずはワンコに気に入られる人じゃないとムリなんです。これがなかなか見つからないんですよぉ。あきらめてはいないんですけど、正直難しそうですよね……うるうる!」

小阪由佳(30)改め小阪有花

どうしたバンビちゃん!
スゴすぎる2度目の"変身"
あの激太りと奇行は実は"努力の賜物(たまもの)"だったんです
image
’85年、東京都生まれ。’04年のデビュー後、「バンビちゃん」の愛称で一躍トップグラドルに。バラエティや映画でも活躍する。近況は公式ブログ『recovery』をチェック。現在も芸能界に復帰する気はないという
「昨年4月、千葉県市原市に『ウィズママ保育園』をオープンさせ、現在、週の半分を地域の子どもたちと過ごしています」
 久々にわれわれの前に姿をあらわした小阪由佳(現在は改名して小阪有花)は完全に「バンビちゃん」のころのプロポーションを取り戻し、保育園運営やダイエット食品などを手がける実業家へと華麗な転身を遂げていた。
「ミスマガジン2004」に輝き、着実にファンを増やし続けていた彼女が突如、芸能界引退を宣言して前所属事務所をやめたのは’09年4月。その半年後、20㎏以上も激太りして三段腹を披露し、カレ氏の存在やキケンな業界裏話を暴露する"お騒がせアイドル"に成り果てたのだ。その彼女がなんともはや……!
「いまは、お母さんが子どもにまっすぐ愛情を注げるよう、少しでもサポートできたらと思って日々保育と向き合っています。この4月からは、子育てに疲れたり悩んだりしているお母さんたちの"負のループ"を断ち切るための新しい事業展開を考えていて、その準備に本格的に取り掛かろうと思っているんです。保育園の子どもたちと会えるのが半分くらいに減りそうなんで、いまはそれがすごく寂しいんですけど……」
 な、なんかスゴいぞ! 本来こんなキャラだったっけ? だったら、あのブッ飛んだ奇行の数々はなんだったのか。
「やり始めたらストイックに突き詰めるタイプで、『もっと売れないと!』『がんばりが足りない!』って、自分を追い込んでいっちゃって。友だちに裏切られたり、カレ氏に浮気されたりが続いて人間不信にもなって、完全に心が壊れてしまったんです。そんななか、唯一頼れる存在だった年上の女性に相談したら、『太って毒舌キャラでやり直そう』って言われて、それを盲信しちゃって。あの激太り、実は努力の賜物だったんですよ(苦笑)。とにかくたくさん食べて、プロテインまで飲んで太るのは本当に辛かったんだけど、そうするしかないって思い込んでいたんです。地獄でしたね」
 迷走に迷走を重ね、結局再び芸能界から距離を置くことになった小阪は、アルバイトとしてかかわった保育園の仕事を通して、子どもやその母親に接することのやりがいに気づいていく。
「人は追い込まれるとどうなるのか、身をもってわかったので、疲れて悩んで本当にギリギリの状態にある人への接し方や、言葉のかけ方がわかるじゃないですか。それがいまの保育のサービスやアイデアに生かされているように思います。あんな日々は二度と送りたくないですけど、あれがあったからいまがありますね」
 そんな彼女も、もう30歳。最近、自分のなかの"ある変化"に気づいたという。
「いつも私なりに子どもたちと本気で接していますけど、やっぱり真の意味で彼らと向き合えるのはお母さんじゃないですか。それを見ているうちに、私も経験したい、やっぱり親になりたいっていう思いが、すごく強くなってきて、結婚願望がフツフツと。好きな人ができて一緒になりたいっていう、オーソドックスな動機とは少し違う気もしますが……(笑)」
 肝心のお相手はいないとしながらも、キッパリこう断言した。
「目標は1年後! 芸能も事業もやると決めたらスピード勝負でやってきた私ですから、本気で狙っていきますよ」

花井美理(31)

あの「乳首事件」の真相は!?
アッパレすぎるプロ魂
盗撮、ストーカー、薄給…
グラドルはホントに大変!
image
’84年、東京都生まれ。現在、長年のアイドル経験を活かし、グラビア写真を修整するレタッチャーの仕事もおこなっている。近況は公式ブログ『mirion』をチェック
「フライデーさん! 私、いまも現役なんですけど! たまに撮影会もやってますし、5月に1年半ぶりのDVDを発売したんですよ!」
 し、失礼をばッ! たしかに豊かなオッパイはプルンと健在で、ワンピから苦しそうにその谷間をのぞかせているではないか!
「スリーサイズは昔と変わってないですね。うっかり太っちゃうと、IカップやJカップになるんですが、今はHカップです」
 ゴ、ゴクリ……! センセーショナルだった’03年のファーストDVDでの手ブラショットを思い出してまた股間がアツくなってきた。
「あれは八王子でスカウトされて事務所に入った直後、承諾もしていないのに都内のマンションで1日で撮影されたんですよ。自分では、こんなの売れるワケないと思っていたら、3万本売り上げて完売。発売記念イベントをやったら300人以上集まってくださって、2枚目の発売がすぐに決まりました。でも最初の1年は給料制で、月給7万円くらいだったんですよ」
 彼女の伝説グラビアといえば’05年の、ヌード疑惑も浮上した「つけ乳首グラビア」だろう。
「明らかにダミーとわかる、おもちゃの『つけ乳首』をつけて撮影したんですが、掲載誌を見てビックリですよ。乳首と肌の境目がキレイに修整されて、パッと見、私の『リアル乳首』に見えるような写真が載(の)っていたんですから。いまだに私のこと"脱いだ人"って思っている人がいるんですけど、誤解です! 数千万円でのヌードや、数億円のAVのお話もいただいたことがありますが、全部断っています。想像して楽しんでもらうのが好きなんですよ♡」
 その誤解とはまったく違う次元で彼女を悩ませたのは、たび重なるストーカー被害だ。
「盗撮・盗聴は日常茶飯事で、コンセント型の盗聴器が部屋に仕掛けられていたり、ベランダからのぞかれていたり。仕事の打ち合わせで訪ねた会社で、『ポラ撮るからここで着替えて』と案内された部屋にカメラが仕掛けられていた、なんてこともありました。家に帰れば、『おかえり』ってメールが入って、電話もひっきりなし。弔電で『愛しています。一緒に死にましょう』と送られてきたことも……」
 そんななかで露出の限界に挑戦してくれていたのだから、ホントに頭が下がります!

元パイレーツ 西本はるか(37)

ブレイク実感できず…
めざすは"2発屋"!
ズブの素人にお笑いはキツかったんだっちゅーの!
image
’78年、東京都生まれ。’97年に浅田好未とともにパイレーツを結成。’98年、「だっちゅーの」で新語・流行語大賞を受賞。現在もグラビアのオファーがあれば受けるとのこと。近況は公式ブログ『はるか的Life』をチェック
 胸の谷間をグッと寄せ、「だっちゅーの」の決めゼリフで男たちを悩殺したパイレーツ。ちょっとムチッとした肉づきでキュートだった西本はるかは、すっかりスリムな大人のオンナに変貌を遂げていた。
「いまは、知人が運営するネット系古着ショップを手伝っています。タレント活動も続けていますが、最近は地方のボートレース場やパチンコ店など営業系が多いですね。『仕事がなくて、ガールズバーで働いている』って某週刊誌に書かれましたけど、それはないです! 普段はお酒もまったく飲まないですし」
 聞けば、一世を風靡(ふうび)したお笑いコンビでありながら、実は長年、女芸人と括(くく)られることに葛藤を抱いていたという。いったいナゼ!?
「幼いころから劇団に入ったりしていて、演技がしたかったんですよ。でも、18歳のときに事務所の命令で、突然お笑いコンビを結成することになってしまって……! いきなりネタとか考えられるはずないじゃないですか。でも、(相方の浅田)好未(よしみ)と普段から言い合っていた『だっつーの』という2人の口グセに、『ボキャブラ天国』(フジテレビ系のバラエティ)のプロデューサーが反応してくれて。あのポーズと組み合わせ、売り出していくことになったんです」
 ヤル気なさげな芸風がウケていたが、まさか"芸風"でなくリアルだったとは……!
「当時は給料制だったのですが、スゴい額をもらってたワケでもないし、ブレイクしたという実感はまったくなかったですね。他の芸人さんと地方をまわっていても、私たちってそんなにウケるわけでもなく、むしろ失笑気味なんですよ。放送作家さんに考えてもらうネタだけで、本気の芸人さんたちのなかに割って入っていくことは、やっぱりムリがありました……」
 休みは月に1日あるかどうかという忙しさだったが、それでも年ごろの女の子らしく恋愛はしていたという。
「アイドルと違って、そこは寛大でよかったですね。相手は、短大を出たばかりでバイトをしているフツーの一般人でした。その後も交際相手はすべて一般人。芸人さんたちと? ないない! みなさん年齢も離れていたし、わが子みたいにかわいがってくださってましたね。当時はいまと違って、グラビアをやる女芸人など誰一人いないので、変人扱いされてたのかな(笑)。仲よしだったのはモリマンさんです」
 大成功したにもかかわらず、やはり女優という夢をあきらめられない彼女は、’01年にパイレーツを解散。舞台やドラマで地道に演技を磨き、’12年には写真集『Shape』(講談社)で大胆なヘアヌードを披露した。
「大きなチャレンジでした。悩んだけど、年齢的なことも意識して、キレイなうちに撮ってもらおうかな、と。オーストラリアの大自然のなか、素敵な作品になったと思っています」
 大仕事を終え、そろそろ結婚したいという考えはあるが、なかなか相手に恵まれないのだという。となれば、もうひと花咲かせてみる?
「できれば『だっちゅーの』以外の何かも見つけて、"2発屋"になりたいですよね(笑)。これからもマイペースでがんばります!」

青島あきな(29)改め大田明奈

おバカキャラ→社長でも
ぶっちゃけトークは健在
自分のカラダがエロすぎて
グラビア卒業を決めました!
image
'87年、宮崎県生まれ。現在、ファッションブランド「Qreep」デザイナー、宮崎のローカルアイドル「Mi-Yah」プロデューサー、「AKEE」名義でクラブDJなど、多方面で活躍中。近況は『大田明奈 オフィシャルブログ』で
「いまは東京に住みながら、月に3〜4回ペースで地元・宮崎に帰る生活を送っています。東京ではクラブDJやモデルをやったり、ファッションブランドのデザイナーをやったり。宮崎に戻れば、地元のローカルアイドルをプロデュースしつつ、ふるさと納税や焼酎などの特産品をPRしています。そう、わたし’13年に宮崎県都城(みやこのじよう)市の特産品宣伝大使になったんですよ!」
 かつて「青島あきな」の芸名で活動していた大田明奈。Gカップの「マンゴー乳」とキュートなおバカキャラで、グラビアファンを魅了していた彼女が、まさかヤリ手の女社長に変身しているとは! とぼけた味わいの宮崎訛(なま)りが残っていなければ、完全に別人としてスルーするところだった。
「安心してください、中身は何も変わってませんよ(笑)。まぁ、たしかにグラドル時代と比べたら、生活は少しマシになりましたね。当時のギャラは月給制で、最低は9万円。最高でも18万円とかだったかな。家賃が払えなくて、親や兄妹と同居していた時期もありました。いま考えたら、世間様が思い描くグラドルの生活とはほど遠い生活をしていましたね。テレビやラジオで面白いコメントが言えるよう常にネタ帳を持ち歩いたり、氷風呂やスカイダイビングの撮影に向けて心身を整えたり、とにかく必死でした」
 たしかグラビアをバリバリやっていた当時も宮崎PR大使としてがんばっていたような。
「あれは、当時宮崎県知事だった東国原(ひがしこくばる)(英夫)さんと高円寺の飲み屋さんで盛り上がって、その場で大使に任命されたんですよ。うれしかったけど、『こんな簡単に決めちゃっていいの!?』ってビックリしましたね」
 彼女は’13年、多くのファンが惜しむなか、突如としてグラビア卒業を決意する。26歳という"熟れどき"だったのに、もったいない!
「あるとき、ふと自分の写真を見て、『わたしのカラダ、エロすぎる……!』って絶句しちゃったんですよ。それまでは肌を露出していても、『そこまでたいしたことないはず』とタカをくくっていたんですが、初めて自分のカラダのエロさに気づいて『これは、どげんかせんといかん!』って(笑)。それで封印することにしました。いまは、収入の波があるから不安な気持ちもありますけど、それでも働きがいはありますね」
 ちなみに、"食べごろマンゴー"はまだ誰のものでもない。絶賛婚活中とのことだ。
「恋愛は4年以上ごぶさたで、親から地元のお見合いイベントに参加するようにと急(せ)かされる日々です。ついにとっておきの"特産品"をPRすべきときが来たんですかね!(笑)」
取材・文/浜田貴之 小野田 衛(西本、青島) 写真/中村和彦
LINEで送る