新聞・テレビが報じない!「リオ五輪2016」現地レポート「メダルラッシュの舞台ウラ」激アツ現地リポート
2016.08.18
LINEで送る

[singlemenu][ptitle]
体操 実父も怖れるひねり王子の裏の顔
競泳 金藤の10年師弟愛
卓球 愛ちゃんの結婚ほか
image
3大会ぶり金に輝いた山室光史、田中佑典、内村、加藤凌平、白井ら日本の体操団体メンバー
image
父・勝晃さん、母・徳美さんとアリーナをバックにセルフィー撮影
体操 ひねり王子の「裏の顔」
 個人総合で世界選手権6連覇中の内村航平(27)が唯一、手にしていなかったのが五輪での団体金メダルだった。前回大会のロンドンでは、予選と決勝の2度にわたって、あん馬で失敗。「五輪には魔物が棲(す)んでいる」と唇を噛(か)んだ。
「魔物の正体は『五輪だからという気負い』だと見破った内村は、『アップなしで6種目ブッ通し演技』という練習に励みました。スペシャリスト育成の逆を行く、世界中で日本だけが取り入れているトレーニングです。ハードですがこれを究(きわ)めることで、いつ、どこでも無心で演技ができるようになった」(体操関係者)
 燃え尽きたのか、試合後の内村は「しんどい」「もうやりたくない」を連発。31歳で迎える東京五輪のエースを、後進に託すと話した。その最右翼が団体決勝の床で驚異の16.133点をマークして「爆発的に点数を取れる選手が出てきた」と内村に言わしめた"ひねり王子"こと、白井健三(19)である。
 白井の父・勝晃(まさあき)さんが言う。
「3歳から小学校1年生くらいまで私が指導する体操スクールにいたのですが、5歳のときに出した大会で、健三は並みいる小学生を抑えて優勝。見よう見まねで演技して、何とかなってしまったんです。とにかく模倣能力が高い」
 昨年1月、家族で沖縄旅行した際、勝晃さんは初めて白井をゴルフに連れて行った。30分ほど観察を終えると、白井はなんとドライバーでナイスショットを連発し始めたという。
「部屋にはジグソーパズルが無数にあるそうです。記憶して再現するという能力に長(た)けた彼らしい趣味ですよね(笑)。団体で優勝した後、金メダルと一緒に貰(もら)った記念品を見て『歯ブラシ立て?』と言った声が放送され、天然っぷりがカワイイと評判になりましたが、勝晃さんがもっとも驚いたのは彼の模倣能力でも、天然キャラでもありません」(前出・体操関係者)
 それは白井が普段はけっして見せない「裏の顔」なのだという。
「健三は結果が悪くても、切り替えが非常に早い。早いうえに、同じミスは二度と犯さない。最初は"神の子"なのかもしれないと思っていました」(勝晃さん)
 ところがある日、目撃したのは鬼気迫る息子の姿だった。
「私たちに隠れて特訓していたのです。誰もいない体育館でミスした演技を何度も何度も、人の何倍も練習していた。たとえ相手が兄であっても、負けるとあの子はキリキリしてしまう。怖ろしいほどの負けず嫌いぶりを見て、この子はタダ者じゃないと思いました」
 団体での歓喜から約1週間、白井は得意とする床と跳馬に挑んだが、それぞれ4位と銅メダルに終わった。だが、父は「いい勉強をさせてもらったと思います」。世界のトップの技を盗み、磨き上げて東京で生かす姿が見えているのだろう。
競泳 金藤(かねとう)の10年師弟愛
 世界大会初のメダルが、オリンピックの金メダル。200m平泳ぎの金藤理絵(27)は、快挙の翌日に引退を示唆(しさ)して、メディアを驚かせた。だが、元IOC幹部は「リオが最後――それが金藤の、いや、彼女と加藤健志(つよし)コーチの合い言葉でしたから」と納得するのだった。
「だからこそ、身体を徹底的に追い込むことができた。毎日約20㎞の泳ぎ込みを敢行。大会直前には空気の薄い高地で、100mと200mを短い間隔で何度も泳ぎ、かつ、ウエイトトレーニングも並行する男子顔負けの特訓を行った。乳酸の出にくい、疲れづらい肉体を手に入れた金藤は、スタート直後から飛ばすパワースイミングにスタイルを変えたのです」(スポーツ紙アマチュアスポーツ担当記者)
 もともと、金藤はストロークの長い泳ぎが特徴。後半に差すレース運びを得意としていた。’07年2月、当時高3だった彼女の泳ぎを見た東海大・加藤コーチは「君なら2分19秒(世界記録)を出せる!」とスカウト。そこから二人三脚が始まったのだが――。
「北京五輪後にヘルニアを患(わずら)ったことで歯車が狂った。自分の泳ぎを見失い、ロンドン五輪ではまさかの代表落ち。勝負に対してガツガツしたところがないのが彼女の弱点でしたが、自信を失くしたことで一気に弱気の虫が顔を出した」(ノンフィクション作家・黒井克行氏)
 引退を口にし始めた愛弟子を見て、加藤コーチも水泳界を去ることを真剣に考えた。だが、諦(あきら)められない。素材は間違いない。それに、まだ2分20秒を破ってないじゃないか――。
 両親、姉、そして支援者の熱烈な励ましを受け、リオ五輪でのラストチャンスに賭けようと前を向いた金藤を、加藤コーチは叱咤(しった)した。加藤コーチ自ら彼女と同じメニューをこなし、弱音を吐けば怒鳴りつけて、金藤の身体をいじめぬいた。「これが最後。人生で一番、追い込め!」
 そして今年4月、ついに代表選考会で2分20秒台の壁を破った。リオ五輪でトップを獲った後の第一声は「加藤コーチのことを信じ続けてきて、本当に良かった」。金藤と加藤コーチの二人三脚は、10年かけて最高のゴールを切った。
image
表彰式の後、日の丸の寄せ書きを片手に金藤はそっと涙をぬぐった

柔道 「ステーキで金を確信」
「朝からステーキをペロッと食べました。大丈夫だと思います!」
 試合当日の朝、井上康生代表監督と顔を合わせるや、ベイカー茉秋(ましゅう)(21)はこう言い放った。
 師である東海大・上水(あげみず)研一朗監督は「早々に金メダルを確信した」という。
「アドレナリンが出まくっているのが、わかりました。実際、最初の試合を大内刈りから背負い落としなんて、これまでやったことのない技で勝った。初めてのオリンピックの、初戦ですよ!?」
 メディアの前では「決勝の前に3回吐いた」とナイーブなところを見せていたのだが……。
「リップサービスでしょう。茉秋は『脱臼した』と言った翌日にベンチプレスで100㎏あげるような男。私はもう、ダマされません(笑)」(上水監督)
 決勝では真逆の柔道を見せる。ポイントで有利になるや、距離を取って、手堅く勝ちを拾った。上水監督が続ける。
「最後まで組み合って攻め抜くという美学もありますが、攻めればスキもできるわけで、それで投げられて負けたらバカを見る。それが茉秋の考え方です。勝つことへの執念、執着は誰にも負けない」
 日本の選手はある種の「型」を作りがちだが、「茉秋には型がない。そこはいじらなかった」と上水監督は打ち明けた。
「相手にとってみれば、型があるほうが捕まえやすい。ところが茉秋は相手に応じて、戦う。型がないから捕まえきれない。それが彼の強みなのです」
 決勝が終わるや、茉秋は両手を天につきあげるパフォーマンスを見せた。
「とっさに出ちゃって……カッコよかったですか? よく"新種"って言われます。自分はそう思ってませんけど(笑)」
 この男には連覇のプレッシャーも無縁だろう。
image
ベイカー茉秋はオール一本勝ちで決勝進出。90㎏級に初の金メダルをもたらした。「東京で連覇を狙いたい」

柔道 見えた「絶対王者との差」
 茉秋と対照的だったのが、100㎏超級の原沢久喜(ひさよし)(24)だ。男子柔道はここまで全6階級でメダルを獲得。しかし、「重量級の再建」を最優先の命題に掲げて改革してきた井上康生監督にとって、この階級の結果いかんによってはすべてが無に帰す恐れがあった。世界ランク2位の原沢は決勝まで順当に勝ち上がり、世界選手権で通算8個の金メダルを手にしている絶対王者、テディ・リネールに挑んだ。
 しかし――リネールは狡猾(こうかつ)だった。パワーで原沢の動きを封じて開始早々に二つの「指導」を奪うと、以降は逃げ回った。リネールになかなか「指導」を宣告できない主審に対し、会場からはブーイングが飛んだ。日大時代の恩師・金野(こんの)潤監督は言う。
「名前負けといえばそれまでですが、そう審判に判断させたのも、リネールがこれまで積み上げてきたものがあるから」
 原沢が絶対王者と初めて戦って感じた「差」は組み手の巧さだった。
「リネールのパワーは予想の範囲内だったのですが、うまく押し込まれた。対応を誤りました。その後は組み際に技をかけようと思ったのですが、組み手が厳しくて追い切れなかった。もうひとつ、自分に相手を嫌がらせるものがなかったから、なかなか(リネールへ)指導が宣告されなかったのだと思います」
 王者を称えた後に本音がのぞいた。
「そんなに大きな差はない。作戦で埋めることのできる差かなと思います」
卓球 初めての挫折と銅メダル
 卓球男子史上初のメダル獲得を決めた瞬間、床に倒れ込んだ水谷隼(じゅん)(27)の頭の中には、これまでの練習や試合の場面が走馬灯のように流れていた。もっとも印象深かったのはロンドン五輪後の自分の姿だったに違いない。4回戦で敗退。「国際大会から一旦、離れる」と表明したが、卓球を辞めるつもりでいた。
「実はロンドン五輪が終わって4〜5ヵ月間の記憶がほとんどないんです。免許を取ったり、友だちとダーツをしていたような気がするのですが……」
 卓球を始めたのは5歳のとき。テレビで、愛ちゃんこと福原愛の活躍を見た両親が、地域の卓球愛好家らとスポーツ少年団を立ち上げたのがキッカケだった。
 監督を務めた父・信雄さんによれば、水谷は5歳にして、見よう見まねでラリーができたという。小2、小4、小6で全国制覇すると、中学2年から9ヵ月間、ドイツに留学。帰国後に出た全日本卓球選手権でオリンピック代表の田崎俊雄を下した。
「あの子が卓球を辞めたいと漏らしたことは一度もない。唯一、ロンドン五輪で結果が出せなかったときに『休む』と言ったのが、挫折といえば挫折かもしれませんね」(信雄さん)
 卓球エリートを挫折から救ったのは、新しい家族だった。ロンドン五輪の翌年に結婚。’14年には長女が生まれた。
「このまま終わっていいのかって思ったんです。もっと世界で活躍したい、勝って家族の笑顔が見たいって」
 一念発起した水谷は中国人の個人コーチをつけ、ロシアリーグに参戦。この海外挑戦は意外な形で実を結んだ。今回、男子史上初のメダルがかかった3位決定戦で当たったのはロシアリーグなどで20回以上戦ったサムソノフ。2ヵ月前にも対戦して勝った相手だった。
「そのときの試合の良かったところ、反省点をメモしてあった。これが今回、役立ちました」(水谷)
 人事を尽くした卓球小僧に、天がメダルをプレゼントしてくれたのだ。
 水谷が小学校の卒業文集に書いた言葉は「卓球一筋」。幼き日から「愛ちゃんみたいになれ!」と応援し続けてくれた卓球一家の夢はリオで叶った。
image
個人では銅メダル、団体でもチームを決勝に引っ張るなど、水谷はエースとして大車輪の活躍を見せた

卓球 愛ちゃんの結婚
 水谷が追い続けた福原愛(27)にとって、辛いオリンピックになった。個人でも団体でも、準決勝まで順調に勝ち上がりながら決勝進出を逃(のが)した。あと2ポイントから逆転負けを喫した団体準決勝後には「私の責任」と涙を浮かべた。
 失意の彼女を癒(い)やせるとしたら――恋人であり、開会式でツーショットを撮られた卓球台湾代表の江宏傑(ジャンホンジェ)(27)をおいて、他にいるまい。練習後の江を直撃した。
――リオでは福原選手と、どんなやりとりをしているのか。
「二人ともオリンピックを目指して頑張ってきた。たとえ負けても、お互いが頑張ってきたことはよくわかっているから、何も問題はないです。ボクはそう、彼女に伝えています」
――シングルス準決勝の前に彼女にメッセージを送りましたか。
「送っていません。愛ちゃんは、自分がやるべきことを知っていますから」
――彼女と結婚する予定は?
「愛ちゃんは、まだ試合がありますから、答えられません(笑)。オリンピックが終わったら……。決まったら、皆さんにご報告しますね」
 3歳から頑張ってきた愛ちゃんに、人生の金メダルが贈られる日は近い。
image
得意のバックハンドで押すも、個人での悲願のメダル獲得はならず
image
恋人・愛ちゃんを気遣いつつ、本誌直撃に答える江宏傑。結婚は否定せず!
PHOTO:野﨑英彦/JMPA(2枚目)、JMPA
LINEで送る