スポーツは人間ドラマだ! 第107回 ロスタイムに70m独走トライ 重戦車を撃破した早稲田粘りのラグビー
2016.09.12
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’95年12月3日
ラグビー早明戦
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明治のディフェンスを振り切り独走する山本。この年は木本監督のラストシーズン。翌’96年12月29日に56歳の若さで亡くなった
 昨年のラグビーワールドカップ(W杯)英国大会で日本は強豪・南アフリカを破り、リオ五輪では7人制でニュージーランドを破った。しかしここに至るには苦しい歴史がある。’87年の第1回W杯では3戦全敗。’95年の第3回大会では再び3戦全敗。最終戦では、オールブラックスに17対145という壊滅的な大敗を喫した。
 苛烈な現実に自信を失っていた日本ラグビーに生きる道を示したのが、早大ラグビー部監督の木本建治(故人)だった。身体の小さな選手が自分よりはるかに大きな選手に勝つため、タックルの重要性を説いた。
「アタックルじゃない。アタッキルだ!」
 木本の口癖だ。早大には「アタック」と「タックル」を組み合わせた「アタックル」という言葉がある。タックルは防御ではなく、最大の攻撃だという意味の造語だが、木本はそこに「キル」(殺す)を加えた。タックルで相手(ボール)を殺す。その決意が、体格に勝る相手の足元に刺さり続ける必殺タックルを可能にし、番狂わせを起こした。’88年には東芝府中(現・東芝)を破り、日本選手権優勝を飾る。大学チームが日本一に輝いたのは、これが最後だ。
 それから7年。木本は再び早大の監督に就任するが、遺産は尽きていた。前年まで早明戦に4連敗、大学選手権では、3大会連続で決勝にすら進めないシーズンが続いていた。
 迎えた12月3日の早明戦。
 明大は、半年前のW杯日本代表に名を連ねた赤塚隆、のちにプロレスラーとして活躍する鈴木健三ら看板の重戦車FWが地響きをあげて突進。早大はひたすら低く、踏み込んだタックルで明大FWに突き刺さった。
 前年は15対34で大敗した明大に、13対15と食らい付いたまま迎えた後半ロスタイムの44分。勝機が訪れる。自陣ゴール前のピンチで、FL小泉和也主将の猛タックルが相手の落球を誘ったのだ。早大が渾身のカウンターアタックに出る。CTB石川安彦が前進し、SO速水直樹がつなぎ、最後はWTB山本肇が70mを独走した。ゴールも決まり20対15の逆転勝ち。国立競技場を埋めた、5万8000人がどよめいた。
 早大ラグビー部の東伏見グラウンド(現・西東京市)の片隅に、10×5mほどの砂場があった。当時、グラウンドの表面は土。その上でタックルをしたら、相手を倒したとき手が地面に擦(す)れて痛い。だが砂の上ならば、相手の体にしっかり腕を回し、固くパックしても手の痛みは薄らぐ。必殺タックルを身につけるための道場たるこの砂場を作ったのが、木本だった。激しい言葉で学生を鼓舞する一方で、痛みを和らげる環境を作って準備を重ねた。そして木本は「抜かれてもいいから思い切り行け!」と、選手の肩の力を抜かせて送りだしたのだ。
「そう思って行けば、タックルなんて案外決まるもんなんだよ」
 世界との差を見せつけられ、何度倒されても世界に挑み続けた日本ラグビー。英国とリオの歓喜の源流には、20年以上も前、木本が砂上でたぎらせた情熱と優しさがあったのだ。――文中敬称略。
(スポーツライター・大友信彦)
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