独占インタビュー 加藤鮎子代議士が語った「父と前夫に学んだ政治家の資質」
2016.10.03
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「加藤の乱」から「育休不倫」まで
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宮崎謙介氏と離婚後、’14年に慶応大出身の実業家男性と再婚し、現在は長男と3人で地元・山形に在住
「亡くなる2日前の9月7日も、病室で1時間ほど面会したんです。昨年6月に倒れて以降、意識は徐々に薄らいでいき、話すことは難しくなりましたが、最後まで意思疎通はできました。『農家の皆さんの声を聞くことが大事だよね』と問いかけると、父は満足そうに頷いていた」
 加藤鮎子衆議院議員(37)は、生前の父との思い出をそう振り返る。
 9月9日、官房長官、自民党幹事長などの重職を歴任した加藤紘一氏(享年77)が、肺炎のため死去した。
 15日に開かれた葬儀は無宗教形式で行われ、小泉純一郎氏(74)や森喜朗氏(79)など、歴代の総理が出席。安倍晋三首相(62)が弔辞を読んだ。小泉氏とともに「YKKトリオ」と呼ばれた山崎拓元自民党副総裁(79)は、
「まさに日本政界の最強最高のリベラルがこの世を去ったという思いです」
 と、盟友の死を悼んだ。
 その加藤氏の地盤と遺志を受け継いだのが三女の鮎子氏だ。加藤氏が政界を引退した後、’14年の選挙に出馬し、同じ山形3区で初当選した。
「父はしっかり根を張り、大地を高いところからも見渡すことができる、巨木のような政治家でした。ただ子どもに、何かを強制することはなかった。自分の道は自分で決めるのが、加藤家の方針でした」
 加藤氏は’00年、森喜朗首相(当時)の不信任決議案に賛成すると宣言した「加藤の乱」に失敗し、失脚。’02年には秘書の脱税問題も発覚し、議員辞職した。
「『加藤の乱』のとき、私は慶応大学の1年生。不思議と周りの友人からは、応援の声が多かった。父には、応援されているからね、と伝えていました」
 ’06年には鶴岡市の自宅と、隣接している事務所が、右翼団体構成員によって放火される事件もあった。加藤氏は自民党内で小泉首相(当時)の靖国参拝に反対した数少ない政治家だった。
「小さい子どもを抱えた姉は『過激な発言は控えてください』と言いましたが、父は『発言は曲げない』と怯(ひる)まなかった。わが父ながら立派だなと思いました」
 病気によって十分な選挙運動ができなかったこともあり、加藤氏は’12年の衆院選で落選。鮎子氏は苦労の連続だった。
「父は落選したら、すっと引いた。後始末も何もしない。『俺、あとはもういいから』みたいな感じでした。私は『お詫びくらいは回ってください』とお願いしましたが、父は『40年分の睡眠不足を解消するんだ』と言って聞かない。政治家になるにあたってアドバイスされたのは、『ドブ板娘になれ』という言葉だけでしたね」
 鮎子氏は選挙区内の家を一軒一軒回って生の声を聞いたという。
「小さな玄関に家族の靴が重なるように置いてあったり、大きな農家におじいちゃんとおばあちゃんだけで暮らしていたりと、いろいろな家庭の景色があることがわかりました。生前、父は『政治ってのはみんなに夢を与えることだ』『歩くだけ歩いたほうがいい』とリビングで独り言のように呟いていましたが、その真意がわかるようになった」
 鮎子氏といえば、永田町では、金子恵美議員(38・新潟4区)と双璧をなす美人議員として知られているが、その世評については、「若くて女性なだけで、かなり下駄を履かせてもらっている。並べていただけるだけで光栄です」と恐縮した。
「金子先生とは予算委員会で隣同士になったとき『あそこにお水があって飲んでいいからね』と声をかけてもらって以来、仲良くさせていただいています。同じ雪国出身でわかり合えるのはこの人しかいない、と確信を持っています」
 金子氏の夫である宮崎謙介元議員(35)とは、’06年から3年間の結婚生活があった。
「結婚した当時、彼はベンチャー企業の経営者で、政治の勉強はまったくしていなかった。だから京都3区から出馬、と聞いたときは、私だけでなくうちの家族みんながびっくりしていました」
 宮崎氏が不倫発覚によって議員辞職したことについては、「私には関係ない。大変ですね、としかコメントしようがない」と笑顔を見せる。現在は連絡をとりあうこともまったくないという。
「私にはちゃらちゃらしている暇はないですから」
 父と前夫から政治家とはどう生きるべきかを学んだ鮎子氏は、「地域に根ざした保守」を掲げて活動していくという。
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娘の覚悟を試すように、紘一氏は「政治家は大変だぞ」と折りに触れ語っていたという
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宮崎氏は夏ごろに物流会社に就職。金子恵美議員とともに赤坂の議員宿舎で暮らしている
PHOTO:西 圭介 鬼怒川 毅
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