スポーツは人間ドラマだ! 第109回 日本人初のグランドスラム決勝進出 錦織圭「世界ランク1位」ジョコビッチを撃破!
2016.10.03
LINEで送る

[singlemenu][ptitle]
’14年9月6日
全米オープンテニス準決勝
image
’16年現在、錦織の対ジョコビッチの戦績は2勝10敗。このときの試合以来、勝っていない
 暑い夏の土曜日の、真昼。
 焼けるような日差しに、錦織圭(24=当時、以下同)はもう一度シャツを着替えてベースボールキャップの汗を絞った。2万人収容の世界一のテニスコートは、すり鉢状の客席いっぱいに観客を詰め込み、男も女も時おり唾を飲み込んで目まぐるしく動く二つの影を追った。
 ロジャー・フェデラー(33)は既にメジャー常勝から遠のき、ラファエル・ナダル(28)は右手首を痛めて戦列を離れた。’14年、時代はもはやこの男の手に移っていた――ノバク・ジョコビッチ(27)はかつて〈ファルコン〉と自称したが、すぐにやめた。狙った獲物は逃さない、鋭い眼光が余りにもハヤブサそのままだったからだ。
 第1セットを錦織が奪い、ジョコビッチが第2セットを6―1で奪い返した。第3セットは、錦織が先に第8ゲームをサービスブレークし、ジョコビッチがすぐブレークバック。人は身勝手なもので、番狂わせを求めながら、やがて本命の底力を欲しがる。だが、右へ左へ揺れる観客心理には一つの印象がしっかり刻まれていた。
 ジョコビッチの強さは、左右からの可逆的な攻撃と防御だ。どこに打ち込んでもボールは返され、攻撃から防御、防御から攻撃へ転じる自在性。だが、ラリーを支配していたのは錦織だった。
 ジョコビッチが右に左に攻め立てても、錦織はそのたびに深く、角度を変えて返した。一打一打に攻撃のメッセージがこもっていた。
 第3セットのタイブレーク。錦織の4―0リードから、ジョコビッチが5―4まで戻してサーブに回った。一気に巻き返すかに見えたが、そこから弱々しいフォアのミスを続け、セットを奪ったのは錦織だった。
 現代テニスは、およそ8×12mの枠に時速200㎞の球跡を張り巡らせる際どい戦いだ。一打一打に自信と疑心をこね合わせ、記憶の中の微かな動揺がネットを揺らし、ラインを跨ぐピリピリしたメンタル勝負だ。
 勢いを得た錦織は第4セットの第1ゲームで先手を取り、ジョコビッチが第2ゲームを0―40と追いすがったが、連続5ポイントをぶち込んで勝負を決めた。
 錦織は広い青空に大きく跳び上がった。
 3週間前に右足の嚢胞(のうほう)の除去手術を受け、ポイント練習もせずNYに来た。開幕前日に「出られるかどうかも分からない」と話し、手探りで勝ち上がった。4回戦のミロシュ・ラオニッチ戦は深夜2時過ぎまで、続く準々決勝ではパワフルなスタン・ワウリンカと4時間15分も戦った。
 錦織圭の技術と精神力は既に折り紙付きだったが、体力がすべてを帳消しにする展開がパターン化していた。4時間のフルセットを2試合乗り越えてなお、ジョコビッチと渡り合う集中力を維持するため……スタンドにマイケル・チャンがいた。ピート・サンプラス、アンドレ・アガシが闊歩したポスト・マッケンロー時代の荒波を、練習量と精神力で乗り切った小兵のプレーヤーだ。そのチャンが前年のオフから錦織について、妥協のない体力強化を進めてきた。その成果が出たのが、この’14年全米オープンの準決勝、ジョコビッチ戦だった。
「体力もついてきているみたいですね」
 才能だけで勝ってきた少年が心技体の可能性を確信したプロへ、無意識が目的意識へと変わった記念碑的な一戦だった。
 錦織はいまも、この夏の手応えを確認するように「体力もついてきた」と口にする。
(スポーツライター・武田薫)
PHOTO:Julian Finney/Getty Images
LINEで送る