石原慎太郎元都知事「家族と側近」のための 独裁都政13年半
2016.10.17
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週に2〜3回しか登庁せず、公私混同はマスゾエ以上
豊洲問題のスーパー無責任体制を築いた張本人がこの男だ
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10月10日の夕方、迎えの車に乗り込む石原氏。豊洲新市場の盛り土問題に関する追及からは逃げ続けている
「舛添(要一)氏が公私混同問題で批判され、都知事の座を追われましたが、石原(慎太郎)氏の公私混同は比べものになりませんよ。舛添氏が家族で食事をしたのは回転寿司でしたが、石原氏の会合場所は有名フランス料理店や料亭など、一人5万円以上する店に頻繁に通っていました。秘書や家族を含む仲間内で飲み食いし、何十万円もの代金を税金で支払っていたこともありました」(ジャーナリスト青木理氏)
 石原時代の知事交際費には、永田町の高級料亭「瓢亭」をはじめ、「ひらまつ」「吉兆」「アピシウス」など名だたる高級店が並んでいる。しかし、公私混同はこんなものではない。青木氏が続ける。
「舛添氏は、海外視察にファーストクラスで行ったことを批判されましたが、石原氏は自分だけではなく、同行した夫人や秘書までファーストクラスに搭乗させていました。’01年に『エコ・ツーリズムの実施状況などを調査する』との名目で実施されたエクアドル・ガラパゴス諸島への出張では、石原氏のほか2人の特別秘書までが一人140万円超のファーストクラスに搭乗しています。さらに現地では大型クルーザー船のバルコニー付きの一室に連泊し、この支払いだけで52万円が費やされています」
 このほかにも、アメリカ・グランドキャニオンへの出張の総額2136万円、イギリス・マン島への出張では3570万円以上の経費を計上している。もちろんすべて都民が払った税金から支払っている。
 そもそも、豊洲市場の盛り土問題について、責任者の名前すら判明しないのはなぜなのか。
「豊洲市場の計画で大きな役割を果たしたのは、石原氏の側近中の側近、浜渦武生(はまうずたけお)氏(当時副知事)ですが、彼は都庁幹部らを前にしてこんな発言をしたそうです。『自ら政策立案に意欲を持っているような官僚はもう古い。オレたちがやりたいと思っていることを先取りしてやってくれるのが優秀な官僚だ』。石原氏や浜渦氏が命令しなくても、下がそれを慮(おもんぱか)って無責任な政策の片棒を担ぎ始めたとすれば、それは独裁の病理としか言いようがありません」(前出・青木氏)
 石原氏の意向を忖度(そんたく)し、責任の所在を曖昧にしながら盛り土をやめたのは一体誰なのか。青木氏が指摘する通り、これこそ独裁の病理と言わざるを得ない。
 ちなみに、石原氏の都知事時代の勤務実態は呆れるほど少ない。
 ’06年から’07年までの出勤状況を調査したデータがあるが、それによると1年間の登庁日はわずか130日。1週間あたりに換算すると2.5日しか出勤しなかった計算になる。登庁したとしても1日の在庁時間は130日のうち100日近くは5時間以下であり、わずか3時間以内に退庁した日数も42日に上る。
 大事な案件でも都知事本人に直接相談する機会はほとんど与えられず、役人たちはひたすら知事の意向を忖度するほかない。これでは盛り土の責任者が不明なのも無理はないだろう。そんな石原氏が大切にするのが「家族と側近」だ。
「石原氏の『身内主義』がもっとも顕著だったのが、東京都の委託事業『トーキョーワンダーサイト(TWS)』の運営でしょう。TWSは、石原知事の肝煎り事業で、運営当初から四男の延啓(のぶひろ)氏がアドバイザリーボード委員という肩書で入っていたんです。ただ、彼は委員と言っても一般人、そんな彼が、ドイツやフランスに公費を使って出張していたことがわかったんです」(全国紙都庁担当記者)
 延啓氏は、ニューヨークや東京で活躍する新進芸術家という触れ込みだったが、実際にはほとんど実績の無い画家。家族というだけで、優遇したと言わざるを得ない。
「そもそも石原氏が出たくもなかった都知事の3選、4選への出馬を決めたのは家族と側近のためです。前述の四男はもちろん、衆院議員の三男宏高氏も知事の後ろ盾がなければ立場が危うかった。副知事だったが不祥事で失脚した浜渦氏も参与という役職で復活させた。石原氏はいま風の言葉でいえば石原ファミリーファーストで、都民のことなんてどうでもよかったのです」(永田町関係者)
 これまでの政治家人生を通じて、石原氏は多くのトラブルや不祥事を起こしてきたが、独特の嗅覚で責任追及をうまくすり抜けてきた。
「石原氏は一生に一度くらい、自分の間違いを認めて責任をとるべきです」(前出・青木氏)
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四男・延啓氏の個展に集まった石原ファミリー。左から三男・宏高氏、慎太郎夫人の典子さん、裕次郎夫人のまき子さん、延啓氏、次男・良純氏、慎太郎氏(2006年撮影)
PHOTO:結束武郎 堀田 喬
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