スポーツは人間ドラマだ! 第112回 体重差55kg!「平成の三四郎」古賀稔彦 小川直也に無念の一本負け
2016.10.24
LINEで送る

[singlemenu][ptitle]
’90年4月29日 全日本柔道選手権決勝
image
膠着状態のなか、古賀は一本背負いを決めようとするが、小川に力でねじ伏せられる
 169㎝、75㎏。
 平均的な日本人男性と変わらないこの体格で、古賀稔彦(22=当時、以下同)は破竹の快進撃をやってのけた。
 柔道界唯一の「体重無差別」で戦われる全日本柔道選手権。「平成の三四郎」と謳(うた)われた中量級エース・古賀は’90年の大会で密かに上位進出を目論んでいた。
「無差別級の大会が本当の実力を証明する場だ、と思っていました。体重差は気にならないし、差があるからこそ、燃えるタイプだった」(古賀=以下同)
 初戦は体重135㎏、次戦は120㎏という巨漢相手に、激しい足技で連勝を収める。
 準々決勝では155㎏の渡辺浩稔の懐に飛び込み、得意の背負い投げを仕掛けると、古賀の倍以上の体重が一瞬浮き上がり、場内をどよめかせた。判定勝ち。
 準決勝も突破し、ついに古賀は小川直也(21)が待つ決勝へ駒を進めた。
 少年時代から各年代の大会で日本一になった「天才」古賀に対し、小川もまた、時代を代表する天才だった。
 192㎝、130㎏の日本人離れした巨軀ながら、剣道、水泳などスポーツ万能。柔道を始めたのは高校時代からと遅かったが、あっという間に頭角を現し、前年(’89年)の世界選手権で無差別級世界一。のちにプロ格闘家に転向するなど、身体能力の高さは驚異的だった。しかも二人はともに東京都内の高校出身の同学年で、互いに意識し合う存在でもあった。
「彼は高校3年くらいから高校柔道界で活躍するようになり、いろいろな大会で顔を合わせるようになりました。強化合宿や世界選手権でも同部屋で、お互い茶目っ気のある性格で仲良かった。無差別級で減量のない小川が夜中、部屋の冷蔵庫を開けておにぎりを食べるのを横目に、『もう少し気を遣えよ』と思いながら寝ていましたね(笑)。
 でも、私が世界選手権で優勝し無差別級への挑戦を意識するようになってから、私のなかでライバルになっていったんです」
 熱狂のなかで迎えた決勝は、激しい消耗戦になった。体格に上回る小川は、古賀の奥襟を握って動きを封じる。小川の巨体をぐらつかせようと、古賀は一本背負い、小内刈りで攻め立てるが、小川がそれを上から押し潰す展開が続いた。
「大きい相手と戦うために、とくに作戦は立てていなかったんですが、絶対に両手で捕まれないようにする、ということを鉄則にしていました。なおかつ自分が攻めていく場面を作ることが、大きい選手に勝つための戦い方だ、と思っていたんです」
 実は古賀は、この試合の前日、38度の発熱に襲われていた。布団にくるまって汗を出し、シャワーを浴びて流すという繰り返しでほとんど睡眠をとれず、コンディションは万全ではなかった。巨漢との連戦の疲れもあった。試合開始から7分13秒、その瞬間が訪れる。
「一瞬、引き手をもたれて両手で捕まれる状況を作られてしまいました。『あっ』と思った次の瞬間、パッと目を開けたら武道館の天井が目の前にあったんです」
 足車一閃――。
 古賀の挑戦は終わった。
「小川は『絶対に優勝する』という意気込みだったが、私はどこかに、『自分の力はどこまで通用するのかな』という思いがあった。執念の差で負けたんです」
 古賀は、いまも悔しそうにそう語る。
 どれだけ体格差があっても、絶対に諦めず挑み続ける――古賀の瞳が、ギラリと光った。この瞳の輝きが、古賀を「世界一」の男にしたのだ。(文中敬称略)
PHOTO:ベースボール・マガジン社
LINEで送る