連載 斉藤和巳の「エース脳」マウンドから見たドラマの裏側 第24回 閑話休題 ホークスから1位指名「ドラフトの思い出」
2016.11.05
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高3夏の大会での筆者。190㎝近い長身から投げ下ろす140㎞超の真っ直ぐが武器の本格派だった
 今年もドラフト会議が行われ、5球団が重複した創価大の田中正義ら、育成も含めて115人が指名を受けました。阪神が内野手の白鴎大・大山悠輔を一本釣りしたことが批判されていましたが、内野に不動のレギュラーがいない現状を考えれば、そこまでおかしな指名だとは思いませんね。
 ドラフトの記憶は鮮明に残っています。
 僕は’95年のドラフトでダイエーホークス(現ソフトバンク)に1位で指名していただいたのですが、「ダイエー以外なら社会人に行く」と公言していました。
 実は子どものころから大の巨人ファンで、親にも「巨人に行きたくないのか?」と聞かれました。ただ、当時の僕は’94年にオリックスのイチローさんがシーズン210安打したり、’95年には近鉄から移籍したドジャースの野茂英雄さんが活躍していたパ・リーグの野球に魅力を感じていたのです。
 そんな僕のもとに一番初めに来てくれたのがダイエーのスカウトの方でした。甲子園に一度も出ていない、まったく無名の僕を見に何度も足を運んでくれて、監督を通じてこう声をかけてくださいました。
「君なら真っ直ぐだけで20勝できる」
 刺さりましたね。当時の僕は変化球でストライクが取れませんでしたし(笑)。
 スカウトの方と直接接触することはプロアマ規定で禁じられていますから、僕には監督に他の球団との接触を断つようお願いすることしかできません。本当に指名されるのかもわからないまま、当日を迎えるわけです。僕のいた南京都高校(現・京都廣学館)は最後の夏もベスト8止まり。よく逆指名みたいなことが言えたなと思いますけどね。強豪校だとプロや大学、社会人とのつながりがあって、本人の希望通りに進路を決められないケースがあると聞きますから、その点では僕はラッキーでした。
 九州との不思議な縁も感じていました。
 3年生に上がる前の春に鹿児島実業や鹿児島商工(現・樟南(しょうなん)など、鹿児島の強豪と練習試合を行っていたのですが、鹿実との試合で先発して3対1で勝利。後日、知ったのですが、当時の鹿実の監督の久保克之さんが、プロの関係者に「南京都にいい投手がいる」と話をしてくださったそうで、そこから12球団のスカウトの方が練習を見に来てくれるようになったのです。
 いつしか僕は長谷川昌幸(市銚子)、星野智樹(四日市工)と並んで「高校ビッグ3」の一人に数えてもらうようになり、「俺、プロに行けるんかな」と初めてプロを意識しました。
 その年のダイエーはパ・リーグ5位。ドラフトでの指名順は3番目です。ダイエーが僕を指名してくれた後に9球団が残っていて、「指名しないでくれ」と祈りながら学校でテレビ中継を見ていたのをよく覚えています。12番目のヤクルトの1位指名が終わって、交渉権がダイエーに確定したときは本当に夢心地でしたね。
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さいとう・かずみ/’77年京都府生まれ。プロ通算79勝23敗、勝率.775。右肩の故障に泣かされながらも「負けないピッチング」で沢村賞を2度受賞。太く短く生きたホークス伝説のエース
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