朴槿恵韓国大統領を操る「新興宗教総裁の娘」との親密写真
2016.11.08
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機密ダダ漏れに国民は激怒、辞任を求めて2万人がデモ!
’79年6月の「セマウム」学生大会。約1550人が参加。水玉模様のシャツを着た女性が朴女史。その左が学生総連合会長で、この大会の開会宣言をした崔氏
「真実を明かし謝罪しろ!」
「国民は絶対に許さないぞ!」
 10月31日、韓国のソウル中央地検に現れた崔順実(チェスンシル)氏(60)は群衆から激しい罵声を浴びた。朴槿恵(パククネ)大統領(64)が演説草稿などの機密情報を漏らし、国政介入などの容疑で逮捕された女性だ。つめかけた約300人の報道陣には「死んで償うほどの罪を犯しました。国民の皆様許してください……」と涙ながらに訴えた。
「朴大統領は、完全に崔氏に操られていました。彼女が着るジャケットのほとんどが、崔氏によるオーダーメイド。色やデザイン、素材まで崔氏の指示通り。さらにメイクや髪型まで言うなりです。朴大統領は閣僚とさえ、なかなか話す機会を持とうとしません。重要案件の相談に乗るのは、大統領執務室をノックすれば話ができる『ドアノブ3人衆』と呼ばれる最側近の秘書官だけなのですが、その3人の秘書官も崔氏が推薦したと言われます」(韓国紙記者)
 朴大統領は、なぜ崔氏にここまで心酔しているのだろうか。話は40年以上前にさかのぼる――。’74年8月、北朝鮮による南北統一を目指す文世光(ムンセグアン)という青年により朴大統領の母親・陸英修(ユクヨンス)氏が射殺された。この時、崔太敏(チェテミン)(’94年に81歳で死去)という宗教家が、当時22歳の朴女史に手紙を送る。崔氏の父親だ。
〈お母様の声を聞きたい時は、私を通じていつでも聞くことができます。陸女史(朴女史の母親)が私の夢に出てきて「娘が幼く何も知らないので悲しんでばかりいる」と嘆いていました〉
 この手紙に感銘を受けた朴女史は、太敏氏を青瓦台(大統領府)に呼ぶ。太敏氏は「お母様はいなくなったのではなく、あなたが時代を切り開くために道を開けてくれたのです」などと説諭。朴女史は太敏氏を師と仰ぐようになる。
「太敏氏は、青瓦台に出入りするようになります。’75年4月には総裁として、大韓救国宣教団という新興宗教団体を設立。朴女史も、『セマウム奉仕団』という関連団体の総裁に就任します。彼女は毎週のように太敏氏が催す集会に参加し、常にそばに寄り添っていました。父親の正煕(チョンヒ)氏(当時の大統領)は娘の入れあげようを心配し、太敏氏との接触を禁止。しかし’79年10月に正煕氏が暗殺されると、彼女はますます太敏氏に傾倒するようになったんです」(前出・記者)
 太敏氏の娘・崔氏とも「姉さん」「妹」と呼び合い仲が深まる。’79年に撮影された「セマウム」の学生大会の映像には、崔氏と朴女史が談笑する姿が。こうした朴女史の動向を気にかけた妹・槿令(クンリョン)氏と弟・志晩(ジマン)氏は、’90年に当時の盧泰愚(ノテウ)大統領へ次のような内容のA4用紙12枚におよぶ嘆願書を送っている。
〈姉は崔親子に騙され、連絡をとることも不可能になりました。大統領令で崔親子を捕まえ、姉を救出してください〉
 この妹弟の動きに朴女史は反発。家族とも疎遠になり、さらに崔親子を頼りにするようになる。政府関係者が話す。
「太敏氏が亡くなると、大統領に就任した朴女史の拠り所は崔氏になります。崔氏はやりたい放題です。いま情報漏えいとともに大きな問題となっているのが、政府の二つの財団(ミル財団とKスポーツ財団)の私物化。大統領府が運営資金として大企業から集めた800億ウォン(約73億円)のカネの大半が、崔氏に流れたという疑惑が持たれているのです」
 10月24日に韓国のテレビ局「JTBC」が、崔氏のパソコンに大統領の演説文や閣議資料など200ほどのファイルが保存されていたことをスクープして以来、国民の怒りは沸点に達している。朴大統領の辞任を要求し2万人がデモを行い、大検察庁にはクレーン車が突っ込んだ。ジャーナリストの高月靖氏が語る。
「韓国では、現職の大統領が訴追されることはありません。朴大統領は残り1年4ヵ月の任期中、批判にさらされながら政権運営することになるでしょう」
 朴大統領の支持率は、政権発足以来最低の10.4%まで落ち込んでいる。
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右が大韓救国宣教団総裁の崔太敏氏。左が同教団で名誉総裁も務めた朴女史。信者は約300万人いるという
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崔氏のタブレットから。エルメスなど常にブランドものの高価な衣服を身に着けている
HOT WORD: 韓国
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