連載 斉藤和巳の「エース脳」マウンドから見たドラマの裏側 第28回 僕が背番号「66」にこだわった理由
2016.12.03
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’03年当時の筆者。この年、前年の4勝から20勝3敗と大ブレイクを果たしたが背番号は変えず
 西武・浅村栄斗(ひでと)は清原和博さんや中島宏之が背負っていた「3」、阪神にFA移籍した糸井嘉男が「7」――オフに入り、背番号にまつわるニュースを目にする機会が増えました。活躍が認められて偉大な先輩の番号を与えられたり、移籍先で好きな番号を譲ってもらったり――プロ野球選手にとって背番号は「顔」。ゲン担ぎをしたり、車のナンバーにしたり、その数字にこだわる選手は少なくありません。
 僕は1年目から引退まで66番を背負い続けましたが、決して望んで付けた番号ではありませんでした。ドラフト1位でしたが、騒がれて入団したわけではなかったので、選ぶ権利はありません。ただ、投手として「若い番号が欲しいな」とは思っていたので正直、複雑な気持ちでした。
 プロ3年目が終わったオフ、17番を付けていた武田一浩さんが中日に移籍。空き番号となったタイミングで「結果を残すから空けておいてください」と球団の担当の方にお願いしました。3年間で一軍登板はわずかに2試合。よくそんなことが言えたものですが、僕は大マジメでした。
 4年目も一軍で1試合しか投げられませんでしたが、5年目は22試合に登板して初勝利を含む5勝をマーク。8月からは先発ローテーションの中心で投げられました。いよいよ、17番を付けられる――楽しみに待ちながら秋季キャンプで汗を流していたある日、新聞の一面に驚きの記事が出ました。ドラフト2位でホークスに入ってくる山田秋親(あきちか)の背番号が17に決定したというものでした。あまりにショックで、記事を見た瞬間、球団事務所に電話をしていました。欲しい選手をドラフトで獲るために、いい番号を提示するという、球団の考えはわかります。そのこと自体は構わなかったのですが、ひと言、説明してもらいたかった。それ以来、「66番は誰にも譲らへん。自分の番号にしたる」とこだわるようになりました。プライベートでもロッカーの番号などで6並びの数に目が行くようになった。
 ただ一度だけ、球団関係者から相談されて考えたことがあります。「15」番――’00年に31歳の若さで亡くなった藤井将雄(まさお)さんが付けていた、ホークスにとって特別な番号でした。僕にとっても、藤井さんは特別な存在。若いころから本当にかわいがっていただきました。右肩のリハビリ期間中、くじけそうになると藤井さんのお墓参りに行って、気力をもらっていました。乗っていた車のナンバーを15にしたこともあります。悩みましたが、藤井さんのご家族や関係者のお気持ちもありますし、僕が付けることで「藤井さんの15番」というイメージが変わってしまう可能性もあると考えて、そのときは遠慮させていただきました。
 いまも藤井さんの番号を付けたいという思いはあります。もしそれが叶うとしたら、僕にとってこれ以上、幸せなことはありません。
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さいとう・かずみ/’77年京都府生まれ。プロ通算成績は79勝23敗、勝率.775。右肩の故障に泣かされながらも「負けないピッチング」で沢村賞を2度受賞。太く短く生きたホークス伝説のエース
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