スポーツは人間ドラマだ! 第118回 判定にブチ切れたガルベス 審判に怒りの剛速球!
2016.12.05
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’98年7月31日
巨人対阪神
15回戦
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ガルベスの「暴投」を目撃した観客は、「間違いなく100㎞以上出ていた」と口をそろえた
 鬱積した不満が爆発した。
 この日の阪神戦に先発したバルビーノ・ガルベス(34=当時、以下同)は立ち上がりから不調で、球審の橘高(きつたか)淳(35)の判定に何度も苛立ちの表情を見せていた。この苛立ちから起こした騒動が、長嶋茂雄監督(62)の進退をも揺るがす大事件の引き金になる。
 6回だった。先頭の坪井智哉(24)をカウント1―2と追い込んだ4球目の内角直球をボールとされる。この判定に露骨に不満な表情を見せ、次の一球を本塁打されるとガルベスが切れてしまった。
 マウンドから橘高を睨む。応じるように橘高がマウンド方向に向かうと、ガルベスも詰め寄ろうとした。慌てて内野陣が周囲に集まり、ベンチから長嶋監督も飛び出した。厳しい形相でミスターがガルベスを押さえつけて交代を告げた。それでも怒りの収まらないカリブの怪人は、橘高を口汚く罵りながら戦闘モードをむき出しにした。
 何度も長嶋監督の手を振り払おうとしながらダッグアウトに"連行"されたガルベスが、スキを突いたのはベンチまであと数mのところだった。付き添っていた同僚のマリアノ・ダンカンの手が緩んだ一瞬、振り返ると、橘高めがけて持っていたボールを投げつけたのである。
 この暴挙に甲子園球場は騒然となった。幸いボールは誰にも当たらなかったが、すぐさまガルベスには退場が命じられ、後日、セ・リーグから残り試合の出場停止、巨人からは無期限出場停止と罰金4000万円という厳罰が科された。
 1996年に巨人に入団したガルベスは、内角をえぐるストレートにシンカー、スライダーを武器にいきなり16勝でメークドラマの立て役者となると、翌’97年も12勝と2桁勝利をマーク。当時の巨人は斎藤雅樹、槙原寛己、桑田真澄と’80年代後半から’90年代にかけて投手陣を支えた3本柱に力の衰えが見え始め、その端境(はざかい)期を埋めたのがガルベスという投手だったのである。
 ただ来日1年目にも中日・山﨑武司とパンチを繰り出す乱闘劇を演じるなどトラブルメーカーだったのも事実で、この騒動も起こるべくして起こった出来事とも言えた。
 しかもこの事件は、単純にガルベスの謹慎だけでは終わらなかったのである。
 事件の2日後の阪神戦でも両軍入り乱れる乱闘から、警告試合となる事件も起こった。一連の騒動を受け、大阪から戻った長嶋監督が謝罪の意を込めて丸坊主になりケジメをつけたことは知られている。と、同時に実は8月3日には読売新聞東京本社を訪れ、渡邉恒雄球団オーナー(現読売新聞グループ本社代表取締役兼主筆)に、責任を取って進退伺を提出していたのである。
 実は長嶋監督のこの行動が「進退伺が出たのだから、これは解任ではなく辞任である」と読売グループ内でくすぶっていた監督交代論に拍車をかけることになった。8月には2年連続のV逸の可能性が高まったこともあり、水面下で元西武監督の森祇晶(まさあき)氏との監督就任交渉が始まり、これが表面化。9月には巨人・森監督が誕生する寸前まで交渉は進むことになった。しかし最後の最後に「長嶋"解任"反対」という強い世論を受けて、渡邉オーナーが森監督を断念。9月12日に長嶋続投が発表された。
 審判にボールを投げつけるという暴挙も暴挙だが、ひょっとしたら巨人の歴史を変える転換点となっていたかもしれない。それこそがガルベス事件の真相であった。
(ジャーナリスト・鷲田康)
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