スポーツは人間ドラマだ! 第119回 荒川静香 日本中が沸いた「イナバウアー金メダル」
2016.12.12
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’06年2月23日
トリノ五輪
女子フィギュアフリー
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「イナバウアー」は’06年の新語・流行語大賞を受賞した
 トリノ五輪の1ヵ月前、荒川静香(24=当時)は米国セントルイス空港に降りたった。
 もう時間がない。ロシアのタラソワとのコーチ契約を解消してモロゾフに変更し、全米選手権の行われているセントルイスで合流した。とはいえ、モロゾフは他の生徒を投げ出すわけにはいかず、結局ほとんど自主練習という形になった。
 セントルイスから練習拠点のコネチカットに戻る飛行機はエンジントラブルで胴体着陸。荒川は生きた心地がせず、一人つぶやいた。
「助かったらトリノでは心をこめて感謝の気持ちで滑ろう」
 ようやく闘争本能に火が灯った。
 常々「アイスショーで滑るほうが自分に向いている」と語り、何度も引退を考えた。一人っ子の荒川は転勤族の父と母に守られて育った。コーチは何度か代わったものの、高難度のジャンプもすぐに習得する早熟な天才児で、連盟の秘蔵っ子だった。ところが、本人が欲をみせない。トリプルアクセルにしても、
「おろしたてで靴が固い日は跳べてしまうんだけど、実戦では無理でしょう」
 と執着しなかった。
 マイナー競技で、鉄拳制裁も珍しくなかった時代。小学生の荒川はスケート靴のまま逃げだし、コーチが追いかけて、そのままリンクを1周して、最後は笑って許してもらったこともある。ハンバーガーショップでバイトしてみたり、成人すると酒・煙草も経験し、決して優等生ではなく、年少者からも「しーちゃん」というあだ名で親しまれた。
 ’98年、長野五輪に初出場した荒川は、金メダル候補だったリピンスキーもクワンも避けた3回転ルッツ―3回転トウループをショートプログラムで成功させた。
 流行語にもなったイナバウアーはもともとステップの一種類にすぎない。後ろに身体をそらす動きは「レイバック」と呼ばれ、スピンでは基本技の一つ。実は「レイバック・イナバウアー」自体も、決して荒川だけの技ではなかった。
 荒川は’01年の全日本でもフリーでトリノ五輪と同じ「トゥーランドット」を滑り、レイバック・イナバウアーを披露している。が、ジャンプのミスが響いて、翌年のソルトレイク五輪出場を逃した。
 荒川にとって8年ぶりの五輪となったトリノ五輪。このシーズンはロシア女子として初の金メダルを狙うスルツカヤと五輪年齢に達していない浅田真央の成績がとびぬけていた。荒川は前年のGPファイナル進出も逃し、全日本でも3位。
 ガッと氷を踏み込み、エッジを横に倒し、身体を後ろへそらすレイバック・イナバウアー。進化した荒川のダイナミックな動きは、指先に至るまでひとつひとつが細やかで、旋律にぴたっと重なり、氷を刻む音まですべてが中国風の五音音階を含んだ音楽と一体化していた。終盤にさしかかり、直後に3連続ジャンプが控えていた。が、体力を温存するどころか、極限まで肉体の美に挑戦しつづけた自信と技術。あの日あの瞬間、やめようと思っても、また引き戻されるフィギュアの魔力がオリンピアの女神と競合し、栄冠は荒川の頭上にもたらされた。
(スポーツライター・梅田香子)
PHOTO:時事通信社
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