白血病に冒された元作業員が語る「福島原発での1年1ヵ月」
2016.12.27
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鉛のベストは「数が足りないから」と支給されず
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4号機のカバー設置工事現場でのAさん。冬でも汗をかくほどの暑さだった
「原発に入る前に東電から受けた放射線教育のテキストは、原発事故前から使っていたものだった。原子力は未来の夢のエネルギーなんていう話ばかりで、放射線のリスクやどこが線量が高いか、そういう大切なことは教えてもらっていない」
 元原発作業員のAさん(42)は、そう振り返った。Aさんは’15年10月に、東電福島第一原発の事故収束作業に従事した作業員では初めて、放射線被曝による白血病で労災認定を受けたのだ。Aさんは’11年10月に福島第二原発に入った。玄海原発での作業などを経て、’12年から’13年にかけて約1年1ヵ月、福島第一原発で事故収束作業にあたった。
 福島第一原発の作業は早朝に始まる。朝4時半に宿舎の旅館で起きて朝食を食べ、バスで5分ほどの所にあるJヴィレッジに入る。6時には着替えて朝礼をし、またバスに乗り、原発に入るのは7時半ごろだ。
 溶接工のAさんは4号機原子炉建屋を覆う巨大なカバーの設置や、爆発で上部が吹き飛んだ3号機原子炉建屋の補強工事などに従事した。どちらも放射線量が極めて高い現場だ。
「一日の被曝量の上限があるから一日に3時間くらいしか作業できない。3号機では1時間のこともあった」
 作業時間が短い時は、昼過ぎには原発を出る。宿代と食事代は会社負担だった。
 しかし線量が高いにもかかわらず、4号機での放射線管理は、ひどくずさんだった。例えば4号機では、放射線を遮るための鉛のベストを着用することになっていたが、数が足りなかったために着ないで作業することがあったという。
「現場監督が、足りないからしょうがないよねって言うんです。監督とか元請けの社員は優先的に着てたけど」
 加えて4号機では、現場の放射線を測定して危機管理をする放射線管理員(放管)がほとんどいなかった。「放管の言うことは聞くようにって教えられてたのに、一日中いないこともあった」という。
 ’13年に待遇などの問題もあって、福島第一原発の作業を辞めた。それから2週間後、白血病に罹っていることがわかった。8ヵ月の入院を経て、幸いAさんは退院することができた。現在は寛解の状態だ。しかし、闘病生活は「死の淵をさまよう」ほど厳しかった。
「無菌室から外に一歩も出られなくて、子どもにも会えない。一日に40回も下痢をして、簡易トイレに座りっぱなしだった。抗がん剤も大量に打った。10人に1人は死ぬくらいの量ですよ」
 そんな治療の末に労災認定を受けた時、東電は「作業員の労災申請や認定状況について、当社はコメントする立場にない」と回答(東電は発注者であり、労災の補償は元請けなどが負うもの、という見解から)。怒りを覚えたAさんは’16年11月22日に、東電などに民事で約5900万円の損害賠償を求めて提訴した。
「東電のために行っていたのに、捨て駒みたいな扱いをするのかって感じでしょ。これから労災認定される人が増えると思うし、自分が訴えることで次の人につながればいいって思ってる」
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本誌の取材に答えるAさん。まだ仕事に就ける体調ではない
取材・文/木野龍逸(ジャーナリスト)
PHOTO:豊嶋孝仁(2枚目)
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