爆発後の福島原発に潜入「私は震えながら歩いた」 
2014.03.11
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作業員が撮影した、事故から約1年後の4号機。中央上部にある黄色いドーム型の物体が、格納容器の蓋だ。現在では核燃料の取り出し作業が始まっている
 私は震えながら敷地内を歩いていた。
 事故から1ヵ月ほどたった’11年4月上旬。作業員に扮し福島第一原発(1F)に潜入した。避難区域が原発周辺20km圏内から30kmに拡大され、国際原子力機関が事故を最悪のレベル7と評価した直後の時期だ。白い防護服に身を包み、防塵マスクを着け、手には二重の手袋をはめる。福島県内にある東京電力の協力企業から、車で約2時間半。1Fの排気筒が見えたので窓を開けようとすると、同乗していた作業員が「おい、開けるな!」と声を荒らげた。
「線量が高いんだ。靴もビニールなどで覆い、ゴムや紐でしっかり縛ったほうがいい。地面にたまった放射性物質が付き、靴の裏が汚染されちまうぞ。外に出るなら、必ず20~30分以内に戻ってこいよ」
 1Fに近づくと「警備強化中」という看板の文字とは裏腹に、北門や西門に警備員は一人もいない。さらに車で5分ほど走ると、白いアーチ状の建物が見えてきた。正門だ。付近の道路は1m以上陥没し、小型トラックが放置されている。車内から撮影していると、東電の社員らしき男性が飛んできた。
「何やってんの? カメラ止めて!」
 男性は車が見えなくなるまで、こちらを見ていた。前出の作業員によると、南へ徒歩10分ほどの場所に原子炉建屋を一望できる丘があるという。だが道路状況が悪く、車で行くことができない。記者はカメラマンとともに、落ち葉に足を滑らせながら丘を登る。
 頂に立つと、生い茂る木々の向こうに無残な4号機が見えた。水素爆発で折れ曲がった数十本の鉄筋、黒焦げになった内壁。天井が吹き飛び、格納容器の黄色い蓋が丸見えだ。間断なく緑色の煙が上がっているのは、内部で何かくすぶっているためか。建屋から700mほどの場所まで近づくと、コンパクトカメラのシャッターを押していたカメラマンが足を止めた。
「おかしいぞ。カメラが急に動かなくなってしまった……」
 20年近いキャリアのあるベテランだが、突然カメラが動かなくなるなど初めての体験だという。撮った画像もすべて失われている。後で分かったことだが、周囲の放射線量は毎時1ミリシーベルトを超えていた。
「ちょっと、どこの社? そんな簡易防護服じゃ危ないだろ! ここにどれくらいの放射性物質が飛んで来ているのか、分かってんの? 早く退避して!」
 私たちを、作業員と勘違いしたのだろう。防護服の背中に「東電」と書かれた男性が、注意を促す。危険を感じ、慌ててその場から退いた――。
「いまだに放射線量が高い場所では作業は進まず、汚染水漏れ防止のために見回り要員は9倍の90人に増えました。作業員の負担は増える一方です。目の前の仕事をこなすのに精いっぱいで、全体の工程がどれくらい進んでいるのかも分かりません」(現在1Fで働く作業員)
 1F廃炉までは30~40年かかると、東電は見積もっている。
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原発に潜入した翌日、約1km離れた海岸から見た1Fの全貌。中央の排気筒の右で崩れかけているのが4号機
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西門から内部を望む記者。上空には超小型ヘリコプターが飛んでいたが、周囲は無人だった
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1F正門前の陥没した道路。東電の協力企業の車が、崩れ落ちた道に取り残されていた
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