貴重なカットを一挙公開 フライデーが目撃してきた素顔の西城秀樹1972~2018


P38-43 フライデーが目撃してきた素顔の西城秀樹

’91年夏、本誌の増刊号に登場。デビュー20年目の再ブレイクを素直に喜び、「『西城秀樹』をやり続ける!」


「近くの公園で奥さまとウォーキングしている姿をよく見かけました。もう還暦過ぎなのに真っ赤なトレーニングパンツが似合っていて、カッコよかったなぁ。GWに入る前、4月の下旬に秀樹さんの自宅に救急車が来て、誰かが運ばれていくのが見えたので、『まさか、秀樹さんに何かあったのか?』と心配していたのですが……」(近所の住民)


 4月25日、2度の脳梗塞を乗り越え、リハビリをしながら歌手活動を続けていた西城秀樹が自宅で倒れた。美紀夫人によれば、それから約3週間、頑張ったが、意識は戻ることなく、5月16日に旅立ったという。63歳という若さだった。


スターとして輝き続ける


 ジェフ・ベックに憧れ、レッド・ツェッペリンをカバーしたロック少年は、広島市内のジャズ喫茶で歌っているところをスカウトされて、芸能界に飛び込んだ。


 ’72年に『恋する季節』でデビューすると、『情熱の嵐』『激しい恋』とヒット曲を連発し、郷ひろみ、野口五郎と並ぶ「新御三家」の一人として人気を博す。


 NHK『紅白歌合戦』には18回出場。ソロ歌手として初の武道館公演を行ったのが西城なら、初のスタジアムコンサートを行ったのも西城だ。極めつけは’79年リリースの『ヤングマン(Y.M.C.A.)』。80万枚の大ヒットを記録し、人気歌番組『ザ・ベストテン』(TBS系)では史上最多得点となる9999点をマーク。翌年の選抜高校野球の入場テーマ曲に選ばれた。


 ’91年にはアニメ『ちびまる子ちゃん』のエンディングテーマとなった『走れ正直者』がヒット。チビッコファンも獲得し、再ブレイクを果たした。西城は当時、本誌にこう語っている。


「俺には、演歌が主流だった時代にいちばん新しいことをやった、という誇りがある。一貫して『西城秀樹』をやり続けて、いまでも全然変わってない。もし今回のブームがなくてジリ貧になったとしても、俺はずっと俺のロックをやり続けただろうね」


 スターとして輝き続ける一方で、スキャンダルとは無縁。長く独身貴族で通した。本誌は’90年に女優・十朱幸代との豪華客船デートをスクープしているが、’01年に18歳年下の美紀夫人と結婚するまで、浮いた話はこれだけ。


 40代に入ると、ドラマ『寺内貫太郎一家』(TBS系)で共演した樹木希林(75)が見かねて姪を紹介しようとしたが、


「その姪っ子というのが、当時16歳でね。慌てて、いまの女房と付き合っていることを打ち明けたんだ」(西城)


 という真面目ぶりだった。


 抜群の歌唱力があって、セクシーで、やさしくて、スキャンダルもなくて―そんな完全無欠のスーパースターを2度の脳梗塞が襲った。1度目は’03年。このときは舌が少しもつれる程度で、短期間で復帰を果たしたが、’11年の2度目の脳梗塞で右半身の麻痺(まひ)と言語障害が残った。


 ここから病との戦いが始まった。


 本誌は’16年の夏、懸命にリハビリに取り組む西城に密着取材をしている。


「もうイヤだ!」「無理だって!」


 絶叫とも悲鳴ともつかぬ声が響き渡る、それは壮絶な現場だった。「肉体派」「ワイルド」と形容された往年を知るファンの心境を思えば、取材に応じることに躊躇(ちゅうちょ)があっても不思議ではない。


 しかし、元『フォーリーブス』メンバーで西城と45年の付き合いがある長田栄二氏は「ありのままの姿を披露することに、むしろ彼はこだわった」と言う。


「ファンは敏感ですから、『衰えた』と思われることは必ずしもプラスにならない。僕は反対したのですが、彼は『隠してどうにかなるもんでもない。病と闘う姿を見せたい。これがいまの西城秀樹なんだ。それを見せることで、同じように病気と戦っている人を励ましたい。勇気を与えたい』と。この男は本物のスーパースターなんだと思い知りました」


『傷だらけのローラ』をもう一度


 2度目の脳梗塞を発症した後、西城はいくつもの治療院やクリニックを訪ね歩いた。だが、効果は上がらない。立つことはおろか、マイクを握ることもできず、「もう二度とステージには立てないのか」と絶望した。そんなとき、出会ったのが脳梗塞などによる麻痺の機能回復を目指すリハビリジム『ジャパンリハビリワークアウト』の大明龍八(おおあけりゅうや)院長だった。大明院長は西城を、こんな殺し文句で鼓舞した。「もう一度、YMCAやれますよ」。


 まずは鍼灸を1時間弱。休む間もなくマシンを利用した筋力トレーニングが始まる。腰、ヒザ、足首、大殿筋、内転筋に各100回ずつ負荷をかける。それが終わると、天井から吊るされたロープで身体を固定しての「もも上げ」だ。


「秀樹さんは文字通り必死でしたから、こちらも妥協できない。心を鬼にしました。それでも秀樹さんはついて来た。あれは彼と私の戦いでした」(大明院長)


 ほどなくして、「もう一度、YMCAをやる」という目標を達成。取材時に語っていた「夏に家族を連れてハワイ旅行がしたい」という夢も叶った。


 以降も西城はリハビリの手を緩めず、歩行も会話も、回復していった。


 ’18年に入り、西城は大明院長と次なる目標を設定した。次はもっと激しい曲を、『傷だらけのローラ』を歌おう、と。


 リハビリ中も、西城は可能な限りステージに立った。倒れる11日前の4月14日にも、栃木県足利市で行われた『同窓会コンサート』に出演している。


「最初は半信半疑でしたが、経過は例年になく順調。今年の暮れには久しぶりに『傷だらけのローラ』が聴けるだろうなと楽しみにしていました」(長田氏)


 だが、しかし、西城は願いを叶えることなく逝ってしまった。


「実は5月12日にリハビリの予約が入っていたんです。でも、待てど暮らせど秀樹さんは来ない。いままでドタキャンなんて一度もなかったから、嫌な予感がしたんです。本当にショックです。これからってときだったから……。いまはただ、ゆっくり休んでほしい」(大明氏)


 西城の死が発表され、日本中が悲しみに包まれた5月17日の夜、横浜市にある西城の自宅に白いワンボックスカーがピタリと横付けされた。


 ワンボックスカーから降り、静まり返った邸宅を訪ねたのは、野口五郎(62)とその妻、三井ゆり(49)であった。


 時間にして約20分。「新御三家」としてともに一世を風靡(ふうび)した西城との対面を果たすと、野口はすぐに戻ってきた。


 本誌が声をかけると野口は軽く会釈。悲しみを嚙(か)み殺すかのように口を真一文字にして、車に乗り込んだ。

P38-43 フライデーが目撃してきた素顔の西城秀樹

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PHOTO:菊地弘一 結束武郎 小松寛之


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