中森明菜と近藤真彦 『令和』まで引きずる金屏風会見のトラウマ



中森明菜と近藤真彦 『令和』まで引きずる金屏風会見のトラウマ

 マッチの住む”5億円”マンションから出てきた中森(90年1月26日号) 



『平成』が終わり、すでに『令和』がスタートしているが、ここで今一度『平成』の芸能史を振り返ってみたい。


『昭和』から『平成』に変わったのは89年の1月8日。その日は今回のようなお祭ムードではなく、粛々と1日が過ぎていった記憶がある。


そして平成元年を揺るがす大事件が起きたのはそれから半年後のことだった。


夏と言っても、そのころの東京は猛暑日になることは少なく、夜になれば心地よい風が吹く日もあった。“明菜緊急搬送”の一報が『FRIDAY』編集部に入ったのはそんな夏の日の夜だった。


《「恋人」マッチの自宅浴室で「自殺」はかり… 

 明菜哀し!鮮血に染まった「愛」の行方》


当時発売された『FRIDAY』にはこんな衝撃的なタイトルが踊っていた。そして記事はこんな書き出しで始まっている。


《その119番通報があったのは、7月11日の午後4時49分。「中森明菜さんが左手を切ってケガをしています」。電話の主は近藤真彦(24)自身だった。救急隊員が東京・港区のマッチの自宅マンションに駆けつけたとき、中森明菜(24)は居間に寝かされていた傷は左腕関節内側を安全カミソリで切ったもの》 


この日、明菜は仕事がオフ。運転免許の更新をしたあと、近藤のマンションに出向いたという。一方、近藤は地方での仕事を終えて、自宅に戻ってきたところ、浴室で血を流して倒れている明菜を発見。彼女は救急車で慈恵医大病院に運ばれ、緊急手術がなされたが、命に別状はなく入院2週間と診断された。


“明菜自殺未遂”の情報は全マスコミに伝わり、病院にはテレビの中継車や記者が続々と詰めかけた。ただ院内に入ることは許されないので、記者たちは明菜が入院したとみられる病室の窓をじっと見ているしかなかった。


明菜の姿を捉えようと、その日から連日、記者たちは病院で張り込みを続けることになったのだが、すきを見て退院したのか、明菜は忽然と姿を消してしまったのだ。


アイドル同士の交際が御法度とされていたこの時代に、ふたりは6年間もの交際を続けていた。何度となく結婚の情報が流れ、この翌年に某テレビ局が二人の結婚式を生中継するという話まで出ていたほどだ。


いったい明菜に何が起こったのかー。


取材を進めていくと、近藤と明菜の結婚に対する温度差が明らかになった。


 「6年も交際していたわけですから、明菜はすぐにでも結婚したかったんでしょう。しかし、近藤はまだしたくなかった。30歳までは自由でいたかったようです」(芸能プロ幹部)


しかし、そんな理由だけでいきなり自殺を図るだろうか。


当時、近藤はカーレースにのめり込んでいたのは周知の事実。レースは莫大な費用が掛かる。近藤がエントリーしていたクラスは年間1億円は必要だと言われていた。人気絶頂のアイドルではあったが、仕事のギャランティーだけでなんとかなる額ではない。ましてレースに夢中になるあまり本来の仕事がおろそかになっていた近藤だ。もちろんスポンサーはついていただろうが、それだけのお金を用意するのは大変なことだったろう。


明菜が貯めていたお金をレースにつぎ込んでいたという話もあった。しかもそのお金は、ふたりが結婚した後、一緒に住むための新居を購入する資金だったと。


後年、明菜の元所属事務所関係者に会う機会があった。そのとき彼は、近藤が書いた借用書を今でも持っていると言っており、彼が言うには、金額は数千万をはるかに上回っていた。しかし現物を見ていないので、真偽のほどはわからない。


そんな状況の中で、明菜のガラスのハートが砕け散ってしまうような“事件”が起きる。


同じ平成元年の2月、明菜のライバルであった松田聖子と近藤がニューヨークで密会していた写真が『FRIDAY』に掲載されたのだった。後日、聖子は釈明会見を開き、密会を否定したが、これが明菜自殺未遂の引き金になったのではないかと、言われている。


あれから30年たったが、明菜の口から語られることはなく、真相はいまだに明らかになっていない。


話を戻そう。マスコミは病院から消えた明菜を、血眼になって探したが、どこもその姿を捉えることはできなかった。しかし、秋も深まり始めたころ、『FRIDAY』にある情報がもたらされた。


 「明菜の所属事務所社長が、あるマンションに頻繁に出入りしている」


というのだ。社長の住居かもしれないが、情報によれば彼は夜に訪れ、1時間もしないで出てくるという。そしてそのマンションには、なんと近藤が住んでいるというのだ。


自殺未遂騒動からおよそ3か月が過ぎた10月。近藤は事件現場となったマンションを引き払い、新しい部屋に引っ越していた。山手線の駅からほど近いところに建てられたそのマンションは超豪華億ション。彼が住む部屋は40坪4LDK、リビングは20畳超の広さで、推定評価額は5億円とされていた。おそらく購入したのではなく賃貸だったと思われるが、それでも家賃は月100万円は下らなかっただろう。


さっそく張り込みを開始。だが、この張り込みはそうそう楽なものではないだろうと、いうのは最初から予想された。


当時からジャニーズ事務所のマネージャーたちの危機管理能力は業界一と言われていて、警戒心も半端ない。執拗に追いかけてくるファンと週刊誌をかわすために、日夜、“技”を磨いていたのだろう。


我々の目的はあくまで明菜だ。近藤のマネージャーに悟られてしまっては元も子もない。張り込む時間帯は近藤が仕事に出ている昼間と、帰宅して、送ってきたマネージャーが帰ったことを確認した後とした。


張り込み始めて1か月。近藤の出入りは確認できたのだが、肝心の明菜は一向に現れない。ただ、件の事務所社長がときおり、アパレルメーカーのロゴが入った大きな紙袋を抱えてマンションに入っていくのが確認された。このマンションのどこかに明菜がいるはずだ。いるとすれば、必ずいつかは外に出てくるはずだ。


しかし、何も起こらないまま時間が過ぎていった。近藤の姿も社長の姿も確認できない日が続くこともあった。そうなると、“ここに明菜なんていないんじゃないのか、あの社長は誰か別の人に会いに来ているんじゃないか”、と、誰もが疑心暗鬼になってくる。


そんな気持ちを抱えながらも、張り込みは継続していたのだが、その疑念が晴れたのは、年も押し迫ったある日のことだった。マンション各戸の空調設備の工事が始まったのだ。


工事終了後、作業員をつかまえて、中の様子を尋ねてみた。すると、住人の中でなぜか近藤だけが、家の中に入るのを強く拒んだというのだ。


家の中には絶対に見られたくない“ヒミツ”があったのだろう。

“明菜は絶対ここにいる!”。気持ちを新たにして張り込みを続けたが、結局その姿を捉えることができないまま、今年はここまでと“仕事納め”の日が来ることになった。


年が明けたら、張り込みを再開することにして、チームはいったん解散したのだったが……。


世間はお正月の準備に大わらわとなっている、そんなときだった。なんと、大晦日に明菜が記者会見を開くというではないか。


彼女は絶対あのマンションから会場に向かうはずだ、そう読んだ我々は再び現場に急行。地下駐車場の出入り口前にカメラマンを配置して、待つこと1時間。駐車場のシャッターが上がり、1台の白い車がゆっくりと出てきた。


運転しているのは、先の事務所社長に間違いないことを確認し、スモークガラスで覆われた車の後部座席に向けて、車の両側からカメラマンがシャッターを切った。


そうやって撮れたのがこの写真だ。


その後 明菜は物議をかもした例の“金屏風会見”に向かったのだが、同席した近藤は、会見に出席する予定はなかったと前置きしたうえで、


「今日も明菜ちゃんと社長がわざわざ家まで挨拶に来てくれたので」 


と語っていて、この日、明菜はあくまで、自宅に訪ねてきたことを強調。

さらに、


「(復帰会見)のお手伝いが少しでもできたことに、すごく喜びを感じています」 


と、“自殺未遂騒動”には無関係であるかのような発言と、結婚については、


「そういうことはまったくありません」 


と完全否定した。金屏風を見て、てっきり“婚約会見”だと思った報道陣が白けてしまったのは言うまでもない。


だが一番かわいそうだったのは明菜だ。彼女もそんな会見だとは想像もしていなかったのだろう。彼女の何とも言えない悔しそうな表情がそれを物語っていた。


会見の締めくくりに、近藤は、


「これからはオープンな交際をしたい」 


と語っていたが、その後は知る通りだ。


“金屏風会見”を報じた『FRIDAY』('90年1月26日号)の記事は最後、

《今年の暮れには『紅白』にそろって出場してもらいたいものだ。》

となっている。しかし、この年ふたりが出場することはなかった。


近藤と別れた後も、芸能活動を続けていた明菜だったが、度重なるトラブルで芸能界から敬遠されてしまうことに。さらに体調不良も重なって、10年にはついに活動休止となってしまった。その後、NHK紅白歌合戦にゲスト出場、ディナーショーを再開するなど復帰の兆しが見えたのだったが、最近の活動は順調とは言えないようだ。


多くの芸能関係者が、明菜がこれほどまでに低空飛行を続ける原因はすべてあの“金屏風会見”にあると語るように、彼女にとっては大きなトラウマとなっているのだろう。


あれから30年、新時代の幕が開けたが“歌姫”復活を望む声はなくならない―。



文:佐々木博之(芸能ジャーナリスト)

宮城県仙台市出身。31歳の時にFRIDAYの取材記者になる。FRIDAY時代には数々のスクープを報じ、その後も週刊誌を中心に活躍。最近は、コメンテーターとしてもテレビやラジオに出演中


PHOTO:堀田 喬

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