五輪延期でユニフォームを脱ぐ決意 バドミントン女子・髙橋礼華

【短期集中連載】長すぎた1年/運命の3月24日

東京五輪延期でユニフォームを脱ぐ決意をした日本代表選手たちの本音


オリンピック以外にもワールドシリーズ制覇、世界ランキング1位達成など数々の日本人選手初記録を打ち立てた


 虚を突かれた。


「よりによって、なんで東京なんだ……って思いましたね」


 日本で初めてバドミントン界に金メダルをもたらした髙橋礼華(あやか)(30・日本ユニシス)の言葉だ。髙橋は4年前、リオ五輪のバドミントン女子ダブルスにおいて、コンビを組む松友美佐紀(28)とともに金メダルを獲得し、「タカマツペア」の愛称で大フィーバーを巻き起こした。


 東京五輪の時期と、競技人生がかぶること。それはすべての日本人アスリートにとって僥倖(ぎょうこう)なのだと思っていた。だが選手によって、それは不運にもなり得る。


 去る8月19日、髙橋は「気持ちが続かなくなった」と、来年の東京五輪出場への可能性をわずかに残しながらも現役引退を発表し、会見では同席した松友とともに涙をにじませた。その5ヵ月前、3月24日に東京五輪の1年延期が決定。それを受けての発表だった。ただ、自宅で延期のニュースを知った髙橋は「ショックはなかった」と淡々と振り返る。


 そもそも髙橋にとって東京五輪は「願望」ではなく、半ば「義務」だった。


「女子選手の場合、25~26歳くらいがピーク。私がリオで金メダルを獲ったときが26歳です。4年後を目指すとなったら30歳になる。身体もきついし、一番の目標をリオでかなえてしまったので、そこまで現役を続けている自分をなかなか想像することができなかった」


 ’16年のリオで金メダルを獲ったシーンがあまりにも劇的過ぎた、ということもあったかもしれない。デンマーク組と対戦した決勝のファイナルゲームは、16-19と追い込まれた状況から5ポイント連続で奪っての大逆転勝利だった。


「あの試合をお客さんとして観ていたなら、私ももう無理だなと諦(あきら)めていたと思うんです。でも、あのときは『ここから逆転したらヒーローだ!』とパン! って切り替えられた。焦(あせ)りも全然なくて、今、相手が引いてるなとかも冷静に見えた。あんな境地になったのは初めてでしたね。あれだけのパフォーマンスを発揮できることはもう二度とないと思う。そう思えるということは、もうやり切ったんだと思うんです」


 だが、そうは言えない状況があった。


「周りは絶対、東京にも出てほしいと思っているので(辞めるとは)言いづらい。流れで、やらなきゃいけないのかなというのは多少ありました。次のオリンピックが東京じゃなかったら、もういいかなってなっていたと思います」


無理矢理自分を鼓舞していた


 バーンアウト状態に近かったリオ五輪の翌’17年、タカマツペアは主要大会で一度も優勝できなかった。しかし、’18年は世界の年間王者を決める『BWFワールドツアーファイナルズ』で4年ぶり2度目の優勝を飾る。東京五輪に向け、再び視界は開けたかに思えた。しかし、髙橋はこう明かす。


「心のどこかで無理だなと思っていました。東京五輪は難しいな、と」


――’18年の時点で、ですか。


「いや、’18年というより、リオが終わったときかな。もう、わかるんです。同じような気持ちにはなれない。リオのときみたいに自分自身を盛り上げられないですから。’18年は一旦、金メダリストであることを横に置いて、単純に二人で楽しんでプレーできた結果だと思うんです。なので、熱量ということでいうと、やっぱりリオを目指していたときより少なかった」


 ’18年の平昌五輪で羽生結弦が2大会連続で男子フィギュアスケートの金メダリストになったときは「そうだ、連覇に挑(いど)めるのは自分しかいないんだ」と自分の境遇と重ね合わせた。だが内からの感情ではなかった。


「無理矢理自分を鼓舞していましたね。自然と湧き出てくるんじゃなくて、こう思わなきゃいけないんだと自分を作っていた。なんかちょっと違うな、ズレてるなと思っていました」


 日本に与えられた東京五輪の女子ダブルス代表枠は2つ。’19年、各大会の獲得ポイントで争われる選考レースは、若手が台頭してきたこともあり、タカマツペアは苦戦を強いられた。日本ランキング3位と出遅れていたタカマツペアは年末のファイナルズへの出場権を逃(のが)す。同大会はとりわけポイントが高い。これに出られなくなったことで、五輪への道は一気に険しさを増した。だが、そのことを悔しがれる自分はすでにいなかった。


「逆にホッとしました。もうがんばらなくていいのかなと。(ペアの)松友は私のそんな気持ちを感じ取っていたし、自分でもリオのときのような気持ちになれていないとわかっていたと思います」


 選考レースの舞台となるワールドツアーは、新型コロナの影響で3月の全英オープンを最後に中断を決定する。その準々決勝で、タカマツペアは世界ランキング1位の中国ペアを破った。ところが、翌日の準決勝では日本の福島由紀、廣田彩花ペアにあっさりとストレートで敗れる。


「準々決勝を戦う前に、選考レースが中断するという知らせを受けました。そこで、ふと、今日、最後の試合になるかもしれないな、と。それで、すっごい気合が入った。だから二人ともいいプレーができて勝てたんだと思います。次の日は気持ちが入り過ぎて負けちゃいましたけど。でも、もう悔いはなかったです」


バドミントンはもういいや


 リオ以降、髙橋はどこかで達観してもいたのだろう、’19年のある試合をこんなふうにあっけらかんと語る。


「世界選手権の準々決勝で、2時間くらい(2時間6分)やって負けたんです。バドミントンの試合って、普通は、1時間もかからないんです。なので、こんなに長い試合をやって負けるんだったら、バドミントンはもういいや! って」


 ワールドツアー中断後、選手らは自宅待機を命じられた。髙橋が振り返る。


「自粛中、普通は練習再開に備えて準備しとこうってなると思うんです。でも、もう身体を動かさなくてもいいかな、って。その分、自分の気持ちとしっかり向き合えた。それはよかったですね」


 全体練習が再開されたのは6月1日だった。すでに引退を決めていたが、その意志を周囲に伝えたのは翌日だった。


「久しぶりの練習だったので羽根を打っている間、もしかしたら、もう一回やりたいと思うんじゃないかって……。でも、わかっていましたけど、そういう気持ちにはならなかったですね」


 髙橋の決断に対し、相棒の松友は何も言わなかったという。


「延期が正式に決まったら、もうやるつもりはないと軽く話していたので」


 当初は、9月22日に開催が予定されていた『ダイハツ・ヨネックス ジャパンオープン』を引退試合にするつもりだった。しかし7月末、最後の花道もコロナによって開催中止に追い込まれた。


「じゃあ、8月に引退しよう、って」


 それもオリンピアの神々のささやかな演出だったのかもしれない。会見日は8月19日を選んだ。4年前、リオで金メダルを獲得した日だった。


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取材・文:中村計(ノンフィクションライター) 


PHOTO:會田 園(1枚目) アフロ(2~4枚目)


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