盟友・長谷川滋利が明かす「イチローが選手からも愛される理由」


盟友・長谷川滋利が明かす「イチローが選手からも愛される理由」

3月21日東京ドームでのアスレチックス戦、8回裏に交代し、選手生活にピリオドを打った

もう既に膨大な量の報道がされていますが、イチロー選手が引退を発表しました。


やはり今回の来日は、オープニングシリーズ2試合のみの契約で、その結果次第でその先の話をするというニュアンスだったのでしょう。自分の状況を把握した上で、本人も「それを覆す」という表現をしていましたが、自身とチームが望んだプレーができなかった。


引退はとても寂しいですが、東京ドームの雰囲気は最高でした。テレビ解説をやらせていただいたので放送席にいたのですが、彼がライトに向かう度に大きな歓声が上がり、ドームは彼のための劇場になっていた気がしました。


個人的には、イチロー選手の大ファンを公言するディー・ゴードン選手が涙を流しているシーンが心に染みました。


実は彼には「イチローのユニホームが欲しいんだ」とこっそり頼まれていたんです。ゲーム前のフィールドトレーニングでサプライズで着たかったみたいですが、純正品は直前ではさすがに手に入りません。「レプリカでもいいから買って帰るんだ」と言っていたようですが、無事に購入できたでしょうか。イチロー選手がゴードン選手のようなスターでも惹かれる存在になったのは、彼の振る舞いに理由があります。


今回の2試合では残念ながらヒットは出なかったのですが、そのぶん凡退後も三振後も顔色を変えずに粛々とベンチに戻る姿が印象的でした。他にも、四球を選んだ後もバットをそっと丁寧にグラウンドに置く動作に注目した方は、かなりのイチローファンでしょうね。彼は、野球というスポーツに誰よりも真摯に向き合い、考えて、自身を向上させようと取り組んできたんです。


また、彼の輝かしい記録は今さら列挙していくまでもありませんが、世界一の数字である4367本のヒットは28年の14832打席の中で積み上げたもので、その裏には9186回の凡打が存在するわけです。僕の知る限り他の誰よりもヒットを欲していた選手ですから、9186回の悔しい気持ちを抱いていたことでしょう。


結果が出ている時期にプロらしい振る舞いをし続けることはそこまで難しくありません。自然と見られている自覚は芽生えるものですが、彼が超一流たる理由は、調子が良くない時期も振る舞いが一貫して変わらないことにあります。


メジャーリーガーの中には、時に判定に怒りを覚えてネガティブな感情を爆発させたり、口にしてはいけない言葉を叫んだり、モノに当たったりする選手もいます。正直に告白しますが、僕も結果が出なかった登板後にベンチのウォータークーラーを壊したことがあります。後でしっかり球団から請求書が回ってきましたが。


しかし、イチロー選手はそんなことは当然ながらしたことはありませんし、ネガティブな感情を表に出したことすらありません。


そういうプロとしての姿にゴードン選手をはじめ、多くのファンが魅せられてきたのだと思います。僕も今、振り返ると彼のメンタルに学ぶことは多かったです。


引退会見も彼らしい言葉で、真摯に思いを説明していました。


野球選手ではなかったら? という質問に、「違う野球選手になってますよ」なんていうのもイチロー選手らしいですよね。独特の表現で解釈を受け手に委ねるような物言いを聞くと、シアトルのロッカールームで多くの記者に毎日のように囲まれ、応じていたのを思い出します。


「イチはいつも大変だな」

「ああ、今はイチローになっているから」


なんていう会話をチームメイトとよく交わしていました。“イチローになっている”というのは、イチロー選手が自身のイメージを損なわないように、メディアの前ではある程度シリアスでシャープな選手でいないといけないといった感じの僕らのフレーズでした。取材が終わればみんなでバカな話をして笑いあっていましたが。


ファンだけではなく、メディア、選手からもとても愛された選手でした。今回の引退劇は一つの野球の区切りかもしれません。お疲れ様でした。


長谷川滋利

1968年8月1日兵庫県加古川市生まれ。東洋大姫路高校で春夏甲子園に出場。立命館大学を経て1991年ドラフト1位でオリックス・ブルーウェーブに入団。初年度から12勝を挙げ、新人賞を獲得した。1997年、金銭トレードでアナハイム・エンゼルス(現在のロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム)に移籍。2002年シアトル・マリナーズに移り、2006年現役引退


写真:AFP/アフロ


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